2012年11月27日火曜日

11月27日


◎今日のテキスト
 隴《ろう》西の李徴は博学才穎《さいえい》、天宝の末年、若くして名を虎榜《こぼう》に連ね、ついで江南尉に補せられたが、性、狷介、自ら恃む所頗る厚く、賤吏に甘んずるを潔しとしなかった。いくばくもなく官を退いた後は、故山、カク略に帰臥し、人と交を絶って、ひたすら詩作に耽った。下吏となって長く膝を俗悪な大官の前に屈するよりは、詩家としての名を死後百年に遺そうとしたのである。しかし、文名は容易に揚らず、生活は日を逐うて苦しくなる。李徴は漸く焦燥に駆られて来た。この頃から其の容貌も峭刻となり、肉落ち骨秀で、眼光のみ徒らに烱々として、曾て進士に登第した頃の豐頬の美少年の俤は、何処に求めようもない。数年の後、貧窮に堪えず、妻子の衣食のために遂に節を屈して、再び東へ赴き、一地方官吏の職を奉ずることになった。
 ――中島敦「山月記」より

◎私はなぜ自由にピアノを弾けるのか(三)

 幼い子どもを見ていればわかるように、人が成長するのは「遊び」においてだ。なにかを楽しいと感じ、熱中するとき、大きく成長する。
 これができるようになると得する、とか、お金がもうかる、などという打算で努力しても、そこには成長はない。打算もなにもなく、ただ楽しみながら熱中したり、これができるようになりたいと夢中になって努力するとき、成長する。
 私がいまもピアノを楽しんで弾けるのは、このような時間をたくさんすごしてきたからにちがいない。

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