2012年11月23日金曜日

11月23日


◎今日のテキスト
 玉川に遠いのが第一の失望であった。井《いど》の水が悪いのが差当《さしあた》っての苦痛であった。
 井は勝手口から唯《ただ》六歩《むあし》、ぼろぼろに腐った麦藁屋根《むぎわらやね》が通路《かよいじ》と井を覆《お》うて居る。上窄《うえすぼま》りになった桶の井筒《いづつ》、鉄の車は少し欠けてよく綱がはずれ、釣瓶《つるべ》は一方しか無いので、釣瓶縄の一端を屋根の柱に結《ゆ》わえてある。汲み上げた水が恐ろしく泥臭いのももっとも、錨《いかり》を下ろして見たら、渇水の折からでもあろうが、水深が一尺とはなかった。
 移転の翌日、信者仲間の人達が来て井浚《いどさら》えをやってくれた。鍋蓋《なべぶた》、古手拭、茶碗のかけ、色々の物が揚《あ》がって来て、底は清潔になり、水量も多少は増したが、依然たる赤土水《あかつちみず》の濁り水で、如何に無頓着の彼でもがぶがぶ飲む気になれなかった。近隣《となり》の水を当座は貰って使ったが、何れも似寄った赤土水である。

 ――徳富蘆花「水汲み」より

◎人になにかを頼むとき(一)

 だれかになにかをやってもらいたいとき、人によっては必要以上にへりくだってしまうことがある。
「お忙しいところ大変申し訳ありませんが、これこれこういうことをやっていただけませんか」
 私もそのようにものを頼まれることがよくあるが、なぜかあまりいい気持ちはしない。まず、自分が忙しい人間だと相手から勝手に判断されている、ということと、実際に忙しいときにはあらためてその忙しさを確認させられていやな気分になる。
 では、どのように頼まれたら気分よく頼みごとを引き受ける気持ちになれるだろうか。

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