2014年2月28日金曜日

マインドフルな2月28日

大人になり、世界のすみずみのものにまで名前をつけ分節化し、さらにそれらを分類してひとくくり、ふたくくり、さらにはさまざまな大きなくくりで世界をとらえなおそうとしたりして、より理解を深めようとします。
大くくりにはそうやって世界の全体像はある程度理解できるかもしれませんが、一種のラベリングといえるその理解方法の陰に、そもそもは等価値であるはずのひとつひとつの事象が見えにくくなっていきます。
マインドフルネスは見えにくくなってしまった事象のそもそものありのままの姿にスポットをあてなおし、理解というより認識をリフレッシュするための方法でもあります。

マインドフルの練習(60)
おせんべいでもたくあんでもいいんですが、なにか硬いものを食べてみます。
通常なら口にいれていきなりボリボリバリバリと噛みくだいて飲みこんでしまうのでしょうが、それを注意深くおこなってみます。
歯にあたる感触、それに徐々に力を加えていき歯が食いこんでいく感触、バリっとくだける感触、その音、振動など、すべてに感覚を向けて逃がさないように味わってみましょう。

2014年2月27日木曜日

マインドフルな2月27日

生まれてすぐ、すべてのものは等価値です。
お母さんも茶碗もおもちゃのガラガラも、まだ自分のとって意味や価値づけがおこなわれていませんから、すべてが新鮮でおどろきの連続です。
しばらくすると、毎日見たり接したりしているものには慣れ、意味が生まれ、自分にとってそれが都合がいいものか悪いものか、心地よいものなのかそうでないものなのか、分別が生まれていきます。
こうやって人は成長するにしたがって、自分の感覚や価値のなかで世界を再構築し、周囲を把握していきます。
それは人が生きていく上で必要なことではありますが、ときにまなざしを曇らせる邪魔にしかならないこともあります。

マインドフルの練習(59)
雨が降っているとき、雨の音に耳をすませてみましょう。
多分にほかの物音と変わりないのですが、雨の音を聴くときも、人はときに思い出や連想にふけってしまいがちです。
そうならないように、思考が生まれて自分自身が「いまここ」からどこかへと連れだされてしまわないように気をつけながら、雨の音をただ聴いてみます。
それはどんな感じがするでしょう。
雨の音はどんな感じであなたの身体にひびいてくるでしょうか。

2014年2月26日水曜日

マインドフルな2月26日

朝、目覚めて、自分の呼吸につながり、マインドフルネスの状態でほがらかに一日をスタートできた人は、たとえどんな苦境のなかにあろうとも幸せです。
なぜなら、マインドフルネスによって自分の能力をもっとも発揮できる集中した状態に自分があり、たとえそれがうまくいかなくても悔いはないし、うまくいけばさらにつぎへととどおることなく進んでいけるからです。
呼吸につながり、にこやかな表情になってみましょう。
それだけのことでなにかが大きく変わるはずです。

マインドフルの練習(58)
車を運転するときほどマインドフルネスを要求される時間はありません。
なにしろ巨大な鉄のかたまりを操作し、猛スピードで移動しているのですから。
一歩間違えたら自分の命はおろか、同乗者や巻き添えになった人々の命、財産をおびやかしかねません。
それなのに、です。
車を運転しているとき、どれほど自分自身のありようと行為に気づきつづけている人がいるでしょうか。
かんがえたら恐ろしいことです。
ハンドルを握ったら自分の呼吸につながり、いまここの自分のありようと行為に集中するように心がけてみましょう。

2014年2月25日火曜日

マインドフルな2月25日

ひさしぶりにマインドフルネスを体現している方にお会いしました。
私のライブに知り合いの紹介で来てくれた方なんですが、初対面なのに最初からニコニコされていて、私のことも、周囲の状況も受け入れ、「いまここ」の自分自身を明らかに楽しんでおられるようす。
そういう人にお会いすると、こちらまで楽しくなりますね。
こういう経験をすると、すべての人がマインドフルでありますように、と願わざるをえません。

マインドフルの練習(57)
ニコニコすることがマインドフルネスをもたらすかどうか、練習してみましょう。
自分の呼吸に注目すると、
「ちゃんと息してるねー、私」
とうれしくなりませんか?
うれしくなったら、その状態をつかんだまま、なにかしたり、人に会ったり、外出してみましょう。
なに、すこしくらい変な人だと思われたとしても、そんなことで危害を加えられることはありません。

2014年2月24日月曜日

マインドフルな2月24日

病気だったり怪我をしていたり、身体の調子が悪いと、マインドフルネスにはなりにくいものです。
どうしても身体の不調なところが気になり、自分自身の全体に意識を向けるのがむずかしくなります。
しかし、そういうときこそ自分の全体を意識し、そのなかにある痛み、不調を、全体の一部として受けいれてみましょう。
調子の悪さがひょっとしてすこし楽になるかもしれません。

マインドフルの練習(56)
朝一番に起きたとき、なにをかんがえますか?
これからやらなければならないこと、今日はどんな予定があったっけ、など、すぐに意識は「いまここ」から離れてしまいます。
それをちょっと後回しにして、起きたらまず、自分の呼吸に意識を向け、自分の全体のようすを木をながめように見てみましょう。
横になったままでかまいません。

2014年2月23日日曜日

マインドフルな2月23日

たとえばこれからひと前でなにかを発表する、といったとき、これから起こることを想像してドキドキしてしまいます。
ときには失敗する場面を想像して萎縮してしまうこともありますし、準備してきたことがうまくやれなかった状況を思いえがいて不安になることもあります。
しかし、あなたはもうすでに充分に準備してきたのです。
もし準備が足りないと感じていたとしても、もうここでなにもできることはありません。
できるのは、自分の呼吸につながり、マインドフルネスを実践して、自分のパフォーマンスを最大限に発揮できるようにハツラツした自分自身でものごとに向かうことです。

マインドフルの練習(55)
歯をみがくとき、どこから磨きますか?
前歯? 奥歯? 奥歯だとしたら右? 左?
ほとんど無意識に歯を磨いていると思いますが、こういう日常のルーティーンこそマインドフルのよい練習チャンスです。
自分の歯、歯茎、歯ブラシ、手の動きなどにしっかり注目し、自分がどのように歯を磨くのか、マインドフルに観察してみましょう。

2014年2月22日土曜日

マインドフルな2月22日

たとえば遠く離れた土地に住んでいる家族が病気になったと知り、すぐに駆けつけられないような状況にあるとき、心配でなにも手につかなくなってしまうようなことがあります。
しかし、こういうときこそマインドフルネスを実践します。
いまこの瞬間、自分にはどうすることもできないことをくよくよと心配し落ちこんでいるより、マインドフルネスを心がけて心身のパフォーマンスを最高にたもつ努力をします。
そうしておけば、いざ自分の力が必要になったとき、最大限に力を発揮することができます。

マインドフルの練習(54)
毎日なにげなくおこなっている「靴を履く」という動作。
このときにマインドフルの練習をしてみましょう。
靴を履くとき、あなたは右と左、どちらから履いていますか?
右でしょうか。
だったら、今日は左から履いてみましょう。
そのとき、どんな感じがしますか?
こころはしっかりと「靴を履く」という自分自身の行為に注目できましたか?

2014年2月21日金曜日

マインドフルな2月21日

自分が過去に犯してしまった罪、あるいは反社会的な行為や信頼を損なうような行為を、いつまでも悔やみつづけてしまうことがあります。
自分の過去の行ないも、そのときはなんらかの自分のニーズにもとづいて行なわれたことであり、また、その後の後悔も満たされなかったニーズがあるからつづいてしまうのです。
悔やみつづけるのではなく、いまこの瞬間自分ができるのは、満たされなかったニーズをどうやって満たすことができるのか、ただそのことに集中し、マインドフルネスのなかで自分のおこないを進めていくことです。

マインドフルの練習(53)
夜、寝る前に、紙にこう書きつけておきます。
紙はどんな紙でもかまいません。
「マインドフルネス」
「今日私が大切にしていること」
目がさめたら、その紙を見て、まず自分の呼吸に気づくことからはじめてマインドフルネスをこころがけます。
そして、今日一日、自分にはどのような大切なことがあり、それを尊重するためにどのようなことを行なえるかどうか、かんがえてみます。

2014年2月20日木曜日

マインドフルな2月20日

「美しい/きれい/醜い」や「おいしい/まずい」といった価値基準を絶対的なものではなく、後天的・社会的につちかわれた個人的感覚です。
なので、おなじものを見てもそれを「きれい」と感じたり「醜い」と感じる相反した反応はいくらでもあります。
しかし人はえてして、自分が「美しい」と感じるものは人も美しいと感じるはずだという、一種傲慢なエゴイズムにおちいってしまうことがあります。
自分の価値基準は大切なものですが、それに対する謙虚さもまた必要なことです。
自分の価値基準を他人に押しつけず、尊重しあうことが大切です。

マインドフルの練習(52)
マインドフルな時間を多くすごしている人の表情はおおむね、ほがらかで明るいのです。
それはマインドフルネスという状態がもたらす充実感・幸福感によるところが大きいでしょう。
逆に、マインドレスな時間を多くすごしている人の表情は暗く、しかめつらしいことが多いです。
練習として、まず自分の呼吸に目を向け、ほがらかで明るい表情を「意図的に」作ってみましょう。
マインドフルネスがあなたにおとずれませんか?

2014年2月19日水曜日

マインドフルな2月19日

「働く者は食うべからず」とか「努力する者がむくわれる社会を」という言葉が声高にいわれ、とくに最近はその風潮が強まっているように感じます。
働きたくたくても働けない人を社会から排除したり、最低以下の生活保障しかあたえなかったり、ひどいケースでは餓死にいたらしめたり。
努力した者がかならずむくわれるかどうかはわからない、ということはだれもが知っていることです。
むくわれるかどうかとは関係なく、私たちはただ懸命に自分の命をまっとうしようと生きているのです。
すべての人がただそのこと自体を尊重されることが望ましいのです。

マインドフルの練習(51)
マインドフルネスであるかどうかはその人の身体性や表情として外側にあらわれ、第三者的に確認できます。
あなたがマインドレスな時間を多くすごした日はそのような顔になっているでしょう。
あなたがマインドフルな時間を多くすごした日は、そのような表情になっているでしょう。
一日の終わりに鏡を見て、自分の顔になにがあらわれているか、チェックしてみましょう。
しわが多い、歳を取った、シミができている、そういったことではなく、自分の内側から形作られる自然現象を読みとってみます。

2014年2月18日火曜日

マインドフルな2月18日

自分のおこないがだれかの役に立つのはうれしいことです。
また、自分が働くことで家族が豊かになったり、会社が成長するのは、やりがいのあることです。
しかし、逆になんらかの理由で働けなくなったり、休養が必要になったりしたとき、自分の価値がなくなってしまったように感じて卑下したり、落ちこむことがあります。
そんなとき、社会的価値基準に照らし合わせて自分をおとしめるのではなく、自分がなにを大切にしているのか、それが満たされなくて苦しんでいる自分自身に深くつながってみてください。
自分にとってなにが必要なのか、どんなことができるのか、見えてきます。

マインドフルの練習(49)
マインドフルな状態にいる人を見つけてみましょう。
電車のなか、人が集まっているような場所、人が歩いている往来……
マインドフルネスのなかにいる人は見ればそれがわかります。
マインドフルネスはその人固有のイキイキした状態を、身体の外側にももたらして、それが自然に表現されています。
だから他人が見てもマインドフルネスのなかにいる人はすぐそうとわかるのです。

2014年2月17日月曜日

マインドフルな2月17日

「すぐれている人」「優秀な人」「役に立つ人」というのは社会的価値基準で規定されています。
逆に「劣っている人」「無能な人」「役に立つ人」というのも、社会的価値基準で規定されています。
しかし、人の存在は社会的価値で規定されるべきものではないでしょう。
子どもも年寄りも、男も女も、働ける人も働けない人も、健康な人も障害がある人も、試験問題を解くのが得意な人も苦手な人も、そこにあるその人の命はひとしくかけがえのないものです。
そこに社会的な価値基準を持ちこむことは、本来できないのです。

マインドフルの練習(48)
自分宛にとどいた郵便の封筒をあけるとき、ほとんどの人は「封筒をあける」ことそのものには注意が向いていません。
だれから来たものだろうか、あの人は元気だろうか、中身はどんなものだろうか、悪い知らせじゃないといいけれど、などとさまざまな思いや想像が交錯し、封筒をあける自分自身のことには気づいていません。
封筒をあける前にひと呼吸ついて自分自身にもどり、そして指先に注意しながら封筒をあける行為そのものに注目してみましょう。

2014年2月16日日曜日

マインドフルな2月16日

人はなぜ、オリンピック競技を見て喜ぶのでしょう。
自分にはとうていできない技能を発揮する世界のトップレベルのアスリートが一同につどい、競い合ったり戦ったりするのは、たしかに一種の快楽があります。
しかし、彼らが自分よりすぐれた人間だから感動するのでしょうか。
彼らが自分よりすぐれている、また競い合った結果さらにそのなかでよりすぐれた人間にメダルを与える、といった行為は、人が作りだした社会的価値観です。
個人の価値観とはなんの関係もありません。
逆に、人より能力が劣った者をそう規定してさげすむのもまた、作られた社会的価値観にもとずいた行為です。

マインドフルの練習(47)
テレビを観ていて、ふとトイレに立ちたくなる、お茶を飲みたくなる、用事を思いだす、など、テレビを観ることを中断することがよくあります。
そういうとき、テレビの前から立ちあがったら同時に、自動的に、自分の呼吸を思いだしてみましょう。
立ちあがり、ちょっと立ちどまって、呼吸に目を向けてみます。
自分がいまどのような呼吸をしていたのか思いだし、いまの呼吸を観察し、できれば深くゆっくりとした呼吸をしてやって、どこかに行っていた自分の意識を自分自身の身体のなかに呼びもどしてやりましょう。

2014年2月15日土曜日

マインドフルな2月15日

なにか怒りがあるときに、自分の内側にある価値観に気づくのはむずかしいと感じることがあります。
怒りという感情は自分の表面を覆い、その内側を見せることをはばみます。
怒りを否定したり消したりするのではなく、怒りは怒りのままに、その内側にある自分の価値を見るために、呼吸を意識してマインドフルネスをこころがけます。
怒りのすきまから自分の内側が、自分の大切にしていることが見えてきます。
自分がなにを大切にしていて、それが原因で怒りが生まれたのであることがわかったとき、自分のなかがクリアになります。

マインドフルの練習(46)
スマホでメールのチェックをしたあと、アプリを閉じ、スマホの電源を切る。
と同時に、ひとつ大きく息を吐きだし、自分の身体に意識を向けます。
ゲームにあきてゲーム機のスイッチを切ったとき、ひとつ大きく息を吐きだし、自分の身体に意識を向けます。
文字通り「ひと息」つくわけです。
ひと息ついて、ここにいなかった自分のこころを自分自身の身体に迎えいれ、もどしてやります。

2014年2月14日金曜日

マインドフルな2月14日

人はいつも、自分が正しいと思いたがります。
自分が正しいと思っていることを他人がしてくれないとき、相手を攻撃しようとします。
しかし、よくかんがえてみてください。
ひょっとして自分には正しくないと思っていることが、相手にとっては正しいことなのかもしれない。
正しい/正しくないという価値観はいつも相対的なものであることを私たちはすでに知っているはずです。
相手を攻撃する前に、自分はなぜ攻撃したくなったのか、怒りをおぼえたのか、こころを相手に向けるのではなく、「いまここ」の自分の内側に向けてみます。

マインドフルの練習(45)
ゲームやスマホに夢中になっているとき、あなたの心は「ここ」にありません。
ゲームでひと区切りついたとき、あるいはスマホの情報閲覧に疲れたとき、電源を切ったあとに自分の呼吸を思いだすようにします。
これはもう自動的に、電子機器のスイッチを切るときに呼吸を思いだすような習慣を身につけます。
最初はそんなことはすっかり忘れているでしょう。
でも、ときどき思いだせるようになったらしめたものです。
あなたは心が「ここ」にない状態から、すぐに呼吸を思いだして「いまここ」の自分に戻ってこれるようになるわけですから。

2014年2月13日木曜日

マインドフルな2月13日

なにかものごとがうまくいかない、自分の思いどおりにことが運ばない、といったとき、それを他人のせいにしようとするのは、自分を守り、なぐさめようという心理がはたらいているからです。
自分は悪くない、自分はまちがっていない、ということを自分にいいきかせてなぐさめるために、人を攻撃するのです。
しかし、そんなことをしても心が休まらないことはだれもが知っていることでしょう。
攻撃を他人に向けるのではなく、自分がなにを大切にしているのか、「いまここ」の自分のなかにあるニーズに目を向けてみます。

マインドフルの練習(44)
爪を切るとき、無意識に呼吸をとめていませんか?
今日は呼吸を忘れることなく、呼吸をつづけたまま爪を切ってみましょう。
爪を切るという作業と、自分の呼吸に意識を向けつづけて手放さないということを、ひとつのこととして試みてみます。
呼吸が生まれている自分の身体全体、自分のありようをつかんだまま、爪を切るという作業をおこなってみます。

2014年2月12日水曜日

マインドフルな2月12日

こころに余裕がないとき、なにかものごとがうまくいかないと人はイライラし、そのことを他人のせいにしようとします。
自分を正当化し、自分では他人が悪い、世の中が悪い、と思おうとします。
いまの日本の社会が「他罰的」であり、人のすることにことあるごとにクレームをつける人が増えてきているのは、社会全体の余裕・スペースのなさに由来するのかもしれません。
自分の呼吸を取りもどし、自分自身の身体を認識しなおしましょう。
自分という広大な宇宙のなかにスペースを見つけ、くつろぎましょう。

マインドフルの練習(43)
なにかをしていても呼吸を忘れない練習、その二。
音楽を聴くとき、そのメロディやハーモニーを楽しみながら、自分の呼吸も観察します。
ゆっくりと息をしながら、その呼吸のなかで音が調和し、まじりあい、響きあうようすを味わいます。
音楽が呼吸をとおして身体を満たし、「いまここ」の音を全部受け取る練習をしてみます。

2014年2月11日火曜日

マインドフルな2月11日

自分の思いどおりにいかないことがあると、人はイライラします。
あるいはだれかが自分の期待どおりの言動をとってくれないと、腹が立ったりします。
じつは世の中は、自分の思いどおりにいかないことが普通なのです。
そのことをまず受け入れる必要がありますが、しかしイライラしたり腹が立ってしまうこともまた事実です。
そんなとき、マインドフルネスをこころがけ、自分自身の呼吸と身体にもどってきましょう。
外側に不要な期待を投影するのはやめるのです。

マインドフルの練習(42)
なにかをしていても呼吸を忘れない練習、その一。
コーヒーをいれるとき、呼吸のことをかんがえながらやってみましょう。
ほかのことをかんがえず、ただ自分の呼吸を観察しながらコーヒーをいれてみます。
コーヒーをいれる行為に引きずられてさまざまな連想や記憶がわいて出てこようとしますし、また「おいしくいれられるだろうか」などと先のことへの想像が働きます。

そういうことをせずに、呼吸から意識を離さないまま、ただコーヒーをいれます。

2014年2月10日月曜日

マインドフルな2月10日

犬や猫を観察しているとわかりますが、彼らはいつもマインドフルです。
思い出にひたることも、想像をめぐらすこともありません。
いつも「いまここ」に生きています。
だから、ストレスがトラウマになることもありませんし、うつにもなりません。
人は動物のように生きるわけにはいきませんが、「いまここ」を生きる時間をこころがけることで、こころの健康をたもつことができるようになります。

マインドフルの練習(41)
猫になったつもりでひなたぼっこをしてみましょう。
日当りのよい場所で、日差しを浴びながら、ただ日差しの感触を味わいます。
太陽の光が自分の肌や髪や衣服にあたり、それを暖める感触を味わってみます。
ほかのことをかんがえず、ただいまの瞬間の日差しの感触を、猫が日だまりで毛づくろいをしているかのような気持ちで、マインドフルに味わってみましょう。

2014年2月9日日曜日

マインドフルな2月9日

マインドフルネスは自分の本当のニーズにつながる助けになります。
自分が大切にしていること、価値観、必要としていることがなにか生まれているとき、なんとなく身体がそれを教えてくれます。
自分の「いまここ」のありようにきちんと注目していくことで、本当のニーズを見つけやすくなります。

マインドフルの練習(40)
みかんの皮をむくときのにおいをしっかり感じてみます。
みかんのにおいが鼻腔を満たし、それが身体全体にどのような感じとなって広がっていくか、観察してみます。
同時に、みかんの皮をむくときの触覚――指先の感覚にも注目してみます。
皮が破れるときの感触、むけていくときの感覚、むけたみかんの中身の手触りなど、丁寧に感じてみます。

2014年2月8日土曜日

マインドフルな2月8日

人はなにか必要性や理由があって行動します。
ニーズのない行動はありません。
ただなんとなく行動しているように見えても、そこにはかならずニーズがあります。
ただなんとなく歩きたくなった、と思っていても、自分のなかにはたとえば「快適さ」のニーズがあるかもしれません。
しばらく動かなかったのでなんとなく身体の居心地が悪くなったのかもしれません。
問題は、人間は「にせ(見かけ)のニーズ」で動いてしまうことがしばしばある、ということです。

マインドフルの練習(39)
みかんをむいてみましょう。
ふつう、みかんをむくとき、たいていの人はほかのことをかんがえています。
ほかのことをかんがえながらでもみかんをむくことができるほど、その作業に習熟しているからです。
でも、生まれてはじめてみかんをむいたときはどんな感じだったでしょうか。
もう忘れました?
生まれてはじめてみかんをむくような気持ちで、いま手にしているみかんをむいてみましょう。

2014年2月7日金曜日

マインドフルな2月7日

マインドフルネスを大切にし、いまこの瞬間を生きることを心がけることと、刹那的に生きることはちがいます。
思考を手放し、いまこの瞬間に気づきつづける、というと、
「計画性がなくなるんじゃないか。計画的に生きることも必要なんじゃないか」
と思う人がいるかもしれません。
計画を立てることは大切です。
自分の目標や必要性にしたがってどのように生きるのか、計画を立てます。
その上で、いま現在の自分自身が最高のパフォーマンスをおこなえるように、マインドフルネスを大切にするのです。

マインドフルの練習(38)
現代人は密閉性の高い室内ですごす時間が長くなっていますが、時々窓を開け放ったり、外に出たりして、外気を吸ってみましょう。
そのとき、においに注意を向けてみます。
臭覚は受動的感覚なので、いつでもにおいはいやおうなく私たちの身体のなかにはいりこんできます。
外の空気を吸ったとき、それがどんなにおいなのか、自分の身体にどんな感覚をもたらすのか、観察してみます。

2014年2月6日木曜日

マインドフルな2月6日

なにかに没入しているとき、私たちの存在は「ここ」にありません。
たとえば読書に夢中になっているとき。
私たちのこころは本のなかに没入し、「いまここ」の自分自身の存在に気づいていません。
そういう自分を忘れてなにかに没頭する時間「忘我のとき」は一種の快楽であり、魅力的なものですが、そればかりでは自分を見失ってしまいます。
忘我の時間を過ごしたら、かならず自分自身にもどってきて「いまここ」のありように気づく必要があります。

マインドフルの練習(37)
ひとつ所にとどまっているとき、その場所特有のにおいに慣れてしまいますが、移動するとあらたなにおいに気づくことがあります。
仕事や外出から帰ってきて自分の部屋に足を踏みいれるとき、部屋のにおいに注意を向けてみましょう。
住みなれた自分の部屋がどんなにおいなのか、あらためて感じてみます。
なにか気づくことはありますか?

2014年2月5日水曜日

マインドフルな2月5日

立っているときもすわっているときも、一定の姿勢をたもつためにはそのための筋肉の働きがあります。
ほとんど無意識ですが、姿勢をたもつために筋肉が微細に動きつづけています。
姿勢をたもつための筋肉は身体の深層にあり、その動きを意識することはあまりありません。
背筋、大腰筋、腸骨筋、といった腹部から骨盤・大腿骨にかけての深層筋や、脚部の筋肉群が姿勢をたもつために働いています。
そしてこれらはまた、呼吸とも微妙に連動しながら動いているのです。

マインドフルの練習(36)
軽く両足をひらいて立ち、重心を前後にゆるやかに動かしてみます。
多少前後に身体を傾けても、重心が大きくくずれない、前後の「遊び」があることがわかると思います。
前後に動かしたら、つぎは左右にも動かしてみましょう。
左右はさらに大きな「遊び」があることがわかるでしょう。
前後左右に重心を動かしたら、今度は円を描くように動かしてみましょう。
時計回り、反時計回りにそれぞれ動かしてみて、身体のようすがどのように変化するか観察します。

2014年2月4日火曜日

マインドフルな2月4日

人が立っているとき、無数の筋肉が協同して働いています。
たとえば、鉛筆を一本、指の上に立て、倒れないようにバランスを取ってみてください。
大変むずかしいと思います。
鉛筆よりすこし長い、たとえばほうきのようなものだったら、もうすこしやりやすくなるかもしれません。
それでバランスを保つためにたえず手を動かしつづけなければなりません。
人の身体のなかでも、ただじっと立っているだけでもたえまなく筋肉が微細に動いて、バランスを取りつづけています。

マインドフルの練習(35)
軽く両足をひらいて、そこから動かないように一か所に立ちます。
息をゆっくりと吐きだしながら、重心を前のほうに倒していきます。
あまりがんばりすぎなくてかまいません。
軽くでいいです。
今度は息をゆっくりと吸いながら、重心をもとのまんなかの位置にもどします。
自分の身体のようすに注目しなから、ただこれを繰り返してみます。

2014年2月3日月曜日

マインドフルな2月3日

人が二足で立ち、歩行するようになったのは、たかだか数十万年前から数百万年前のことです。
だから生物的には二足歩行動物としての進化が完全とはいえない、という説があります。
二足で立ち、歩くためのさまざまな筋肉や感受性は、ひょっとしてまだ充分に進化しきっていないのかもしれません。
それでも私たちは二足で立ち、歩くことができていますが、どこかぎこちないところがあるのも事実です。
そのことに謙虚に向かいあってみるのはいかがでしょう。

マインドフルの練習(34)
椅子の前に立ちます。
深くゆっくりとした呼吸をします。
呼吸を数えながら、ゆっくりと腰をおろしていきます。
三回の呼吸ですわりきります。
こんどはやはり三回の呼吸で立っていきます。
呼吸と身体を観察し、その変化に注目しつづけます。

2014年2月2日日曜日

マインドフルな2月2日

人はどうやって立ったりすわったりしていると思いますか?
実際のところ、なぜ立てているのか、なぜすわる動作ができるのか、自分ではよくわからないのです。
でも、ちゃんとそうやっています。
なにもかんがえずに「立とう」と「意」をもちいるだけで、全身がそれに協同して無数の筋肉を動かし、バランスを取り、「立つ」ことができます。
マインドフルネスの意識が深まってくると、この生命の不思議に注目し、また謙虚になることが起こってきます。

マインドフルの練習(33)
椅子の前に立ってみます。
足裏から頭のてっぺんまで自分の身体があり、その中心では呼吸が動きを作っていることを感じます。
ゆっくり椅子にすわります。
身体の重心が動いて、椅子に落ち着くのを見ます。
落ち着いたら、ゆっくり立ちます。
やはり重心が動いて、立った状態にやはり落ち着きます。
その身体の動くようすを、緻密に注目してみます。

2014年2月1日土曜日

マインドフルな2月1日

歩いているとき、あなたはなにをかんがえていますか?
過去の記憶、できごとを反芻して思いかえしていたり、「あのときはこうすればよかった」などと後悔していたり、あるいはまだ起こってもいないできごとについてあれこれ想像をめぐらせていたりしませんか。
人が大脳を発達させてしまった結果としてそのようなことが起こってしまいますが、ときにはその思考を断ち切り、いまここにある自分の存在・生命そのものに立ち返ってみる必要があります
歩いている自分自身にあらためて目を向け、観察し、感受することによって、歩くというなにげない動作のなかに多くの気づきを得ることがあります。

マインドフルの練習(32)
歩くことそのものに注目するマインドフルの練習です。
なにげなく歩いているとき、ふと自分の呼吸を観察し、自分自身の身体への注目をしてみます。
右足が出ること、足裏が大地を踏みしめていること。
つづいて左足が出ることも、足裏が大地を踏みしめていること。
ただその動きと感触に集中して注目してみます。
どんな感じがするでしょうか。