2012年11月15日木曜日

11月15日


◎今日のテキスト

 本州の北端の山脈は、ぼんじゅ山脈というのである。せいぜい三四百米《メートル》ほどの丘陵が起伏しているのであるから、ふつうの地図には載っていない。むかし、このへん一帯はひろびろした海であったそうで、義経が家来たちを連れて北へ北へと亡命して行って、はるか蝦夷《えぞ》の土地へ渡ろうとここを船でとおったということである。そのとき、彼等の船が此の山脈へ衝突した。突きあたった跡がいまでも残っている。山脈のまんなかごろのこんもりした小山の中腹にそれがある。約一畝歩《せぶ》ぐらいの赤土の崖がそれなのであった。
 小山は馬禿山《まはげやま》と呼ばれている。ふもとの村から崖を眺めるとはしっている馬の姿に似ているからと言うのであるが、事実は老いぼれた人の横顔に似ていた。
 ――太宰治「魚服記」より

◎音楽療法と音読療法(三)

 音楽療法と音読療法の最大のちがいは、道具を使うか使わないかという点だ。
 道具というのはマラカスやトーンチャイムといった子どもでも扱えるような簡単な楽器のことだが、音楽療法でもそれを使わない場面はあるかもしれない。しかし基本的には参加者に簡単な楽器を渡し、ともに音楽を演奏することでさまざまな感覚を喚起したり、運動機能を向上させたり、といったことをねらう。
 音読療法では道具はいっさい使わない。自分の呼吸、声、身体を使うことで、音楽療法と同等の効果をねらう。なので、どんな人でも、いつでもどこでも思いたったときに、ひとりでもグループでもやれる、という利点がある。もちろん音楽療法より能動的なマインドが必要なので、その分、ある程度の積極性が必要だといえるが、その点については共感的コミュニケーションのなかで自分のニーズにつながって積極的になることを同時に学んでもらっている。

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