2012年10月26日金曜日

10月26日


◎今日のテキスト

 喬《たかし》は彼の部屋の窓から寝静まった通りに凝視《みい》っていた。起きている窓はなく、深夜の静けさは暈《かさ》となって街燈のぐるりに集まっていた。固い音が時どきするのは突き当っていく黄金虫《ぶんぶん》の音でもあるらしかった。
 そこは入り込んだ町で、昼間でも人通りは少なく、魚の腹綿《はらわた》や鼠の死骸は幾日も位置を動かなかった。両側の家々はなにか荒廃していた。自然力の風化して行くあとが見えた。紅殻《べにがら》が古びてい、荒壁の塀《へい》は崩れ、人びとはそのなかで古手拭のように無気力な生活をしているように思われた。喬の部屋はそんな通りの、卓子《テーブル》で言うなら主人役の位置に窓を開いていた。
 ――梶井基次郎「ある心の風景」より

◎健康体重について(二)

「適正体重」という幻想があるのではないか。それはほとんどが、自分自身の体調とは関係のないたんなる数字であって、おなじ慎重160センチの人でも、40キロしかないのに元気でいる人もいれば、80キロもあって元気でいる人もいる、というような個々の事情を無視して存在している。
 そういった外部的に規定された数字を一度忘れて、自分の身体をしっかり見つめなおしてはどうだろう。いまの体重が外部基準ではなく、自分自身の感覚としてどうなのか。人から太っているとか痩せているとかいわれてどうということではなく、気持ちよく食べて生活を維持できているかどうか。
 標準的な体重やマスコミが作り出したイメージから著しくはずれてやせていたり太っていたりしても、自分が快適で健康にすごせているなら、外からの声を気にするのではなく自分の声を大事にしてはどうだろうか。

0 件のコメント:

コメントを投稿