2012年10月13日土曜日

10月13日


◎今日のテキスト

 夜寒《よさむ》の細い往来を爪先上《あが》りに上あがって行くと、古ぼけた板屋根の門の前へ出る。門には電灯がともっているが、柱に掲げた標札の如きは、ほとんど有無《うむ》さえも判然しない。門をくぐると砂利が敷いてあって、その又砂利の上には庭樹の落葉が紛々《ふんぷん》として乱れている。
 砂利と落葉とを踏んで玄関へ来ると、これもまた古ぼけた格子戸の外《ほか》は、壁といわず壁板《したみ》と云はず、ことごとく蔦《つた》に蔽われている。だから案内を請おうと思ったら、まずその蔦の枯葉をがさつかせて、呼鈴《ベル》の鈕《ボタン》を探さねばならぬ。それでもやっと呼鈴を押すと、明りのさしている障子が開いて、束髪《そくはつ》に結った女中が一人、すぐに格子戸の掛け金を外《はづ》してくれる。
 ――芥川龍之介「漱石山房の秋」より

◎介護予防という考え方を身につける(二)

 音読ケアのために高齢者施設にうかがう機会が多い。そのたびに思うのは、すでに施設にはいっておられる方には申し訳なく、またこの方たちのことはもちろんおろそかにするわけではないが、自分自身はなるべく施設のお世話になることなく、介護を必要としない元気なままで老後を迎えたい、ということだ。
 私の父は八十すぎで亡くなったが、学生時代、太平洋戦争で海軍にとられ、魚雷攻撃によって傷痍軍人となった。そのため、身体のあちこちに不具合があり、老齢になってからはしょっちゅう医者の世話になっていたが、自分ではせっせと日常的に運動などに努めていたのをいまとなっては思い出す。おかげで、最後は自宅の布団で亡くなった。
 私もそうありたいと思うのだ。

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