2012年9月1日土曜日

9月1日

◎今日のテキスト

 明治十四年の夏、当時名古屋鎮台につとめていた父に連れられて知多《ちた》郡の海岸の大野とかいうところへ「塩湯治《しおとうじ》」に行った。そのとき数え年の四歳であったはずだから、ほとんど何事も記憶らしい記憶は残っていないのであるが、しかし自分の幼時の体験のうちで不思議にも今日まで鮮明な印象として残っているごく少数の画像の断片のようなものを一枚一枚めくって行くと、その中に、多分この塩湯治の時のものだろうと思う夢のような一場面のスティルに出くわす。
 海岸に石垣のようなものがどこまでも一直線に連なっていて、その前に黄色く濁った海が拡がっている。数え切れないほど大勢の男がみんな丸裸で海水の中に立ち並んでいる。去来する浪に人の胸や腹が浸ったり現われたりしている。自分も丸裸でやはり丸裸の父に抱かれしがみついて大勢の人の中に交じっている。
 ただそれだけである。
 ——寺田寅彦「海水浴」より

◎宿題ができなかった人にどう対するか(一)

 音読療法の講座では、ときどき、次の講座までに宿題してくるようにお願いすることがある。たいていは、なにか実際にやってみてそのレポートを書いてきてほしい、というような内容である。
 それをやって来ない人がいる。そういう人にどう対処するか。
 宿題をしてこなかった、だめじゃない、次はやってきてね、ではなにもよいことは起こらない。その人がなぜ宿題をやれなかったのか、宿題をやることのほかにどんなニーズが優先されたのか、共感的にきいてみる。思いがけない答えが返ってくることがある。

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