2012年9月15日土曜日

9月15日


◎今日のテキスト

 秋にさそわれて散る木の葉は、いつとてかぎりないほど多い。ことに霜月は秋の末、落葉も深かろう道理である。私がここに書こうとする小伝の主一葉《いちよう》女史も、病葉《わくらば》が、霜の傷《いた》みに得《え》堪《たえ》ぬように散った、世に惜まれる女《ひと》である。明治二十九年十一月二十三日午前に、この一代の天才は二十五歳のほんに短い、人世の半《なかば》にようやく達したばかりで逝《い》ってしまった。けれど布は幾百丈あろうともただの布であろう。蜀江《しょくこう》の錦《にしき》は一寸でも貴く得難い。命の短い一葉女史の生活の頁《ページ》には、それこそ私たちがこれからさき幾十年を生伸びようとも、とてもその片鱗《へんりん》にも触れることの出来ないものがある。一葉女史の味わった人世の苦味《にがみ》、諦《あきら》めと、負《まけ》じ魂との試練を経た哲学――
 ——長谷川時雨「樋口一葉」より

◎人に大切にされること

 昨日、伸びた髪を切りに行った。だいたい三か月に一度のペースで切りに行く。
 髪型にはまったく執着はなくて、髪を洗ったあとやプールで泳いだあとにバッと乾かしてそのまま楽にしていられる短い髪であればいい。洗ったあとや出かける前に時間をかけてセットしなければならないような髪型は、ちょっと避けたい。
 というわけで、行きつけの美容院でお任せで、いつも「さっぱりして」とリクエストして切ってもらっているのだが、昨日は私のことを「かっこよくしたいです」と大事にあつかってくれるリュウくんが担当してくれた。私がすこしでも私らしく、かっこよくいられるように心をくだいて自分の技術を使ってくれる人に扱われるというのは、とてもありがたく気持ちのいい時間なのだった。

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