◎今日のテキスト
草をむしれば
あたりが かるくなってくる
わたしが
草をむしっているだけになってくる
——八木重吉『貧しき信徒』より「草をむしる」
◎全身で見る
たとえば絵を見るとき、私たちはなにを見ているのだろうか。
そこに描かれているのはなにか。はっきりとわかるモノなら、それを見るだろう。ああ、ひまわりが描かれているな、とか、山と湖の風景だな、とか、ふくよかな女性だな、とか。
それで絵を見たことになるだろうか。つまり、絵描きはそのモノを人に見せたくて絵を描いたのだろうか。
絵描きはそのモノを描くことによってなにを伝えようとしているのか。
私たちはそこになにが描かれているのかではなく、どう描かれているのか、そこに描かれているものは私たちの感情や身体をどのように変化させるのか。それを大事にしながら、全身で受けとめることはできないものだろうか。
八木重吉『貧しき信徒』‥何て美しい魂なんだろう。身体が蝕ばまれで行く苦しさや死への不安といつも向き合いながら、これが最後かもしれないと感じ愛する人たちとの一瞬一瞬を自分に刻みつけようとしている。他には何にもいらなくてただ大きな自然の中に心身を委ね愛する人との日々の暮らしを慈しむ。でも死を迎える時はひとり、心の暗闇とも向き合わなくてはならないー胸が痛み涙が次から溢れてきます。苦しいけれど自分は塵の一粒の様に思えるけれどそれでもやっぱり光に憧れて今日を生きよう、共に生きようとする人の魂は明るく力深く周りを包みこむ様な優しい輝きを放つ。
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