◎今日のテキスト
わたしは阿Q《あキュー》の正伝を作ろうとしたのは一年や二年のことではなかった。けれども作ろうとしながらまた考えなおした。これを見てもわたしは立言の人でないことが分る。従来不朽の筆は不朽の人を伝えるもので、人は文に依って伝えらる。つまり誰某《たれそれ》は誰某に靠《よ》って伝えられるのであるから、次第にハッキリしなくなってくる。そうして阿Qを伝えることになると、思想の上に何か幽霊のようなものがあって結末があやふやになる。
——魯迅『阿Q正伝』より
◎語りと謡い
徳島で現代朗読のワークショップをおこなってきた。
主催と案内をしてくれたメンバーのたるとさんが、ワークショップの翌日、阿波人形浄瑠璃の十郎兵衛屋敷に案内してくれた。ここでは大阪の文楽とはやや趣をことなえる阿波の人形浄瑠璃を上演していた。
文楽におけるいわゆる義太夫語りと三味線がふたり。語りの人はセリフを語り、そして地の文である説明文も語る。これは朗読とおなじだと思った。
ただ、現代の朗読と違うのは、語りの人は地の文やセリフをさらに節回し(メロディ)をつけ、三味線とアンサンブルになるということだ。
これがおもしろかった。
朗読と音楽の境界線はどこにあるのだろうかと思いながら聴いていた。あるいは、朗読と音楽に境界をもうける必要があるのだろうか、とも。
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