2012年7月19日木曜日

7月19日

◎今日のテキスト

 町の上に高く柱がそびえ、その上に幸福の王子の像が立っていました。王子の像は全体を薄い純金で覆われ、目は二つの輝くサファイアで、王子の剣のつかには大きな赤いルビーが光っていました。
 王子は皆の自慢でした。「風見鶏と同じくらいに美しい」と、芸術的なセンスがあるという評判を得たがっている一人の市会議員が言いました。「もっとも風見鶏ほど便利じゃないがね」と付け加えて言いました。これは夢想家だと思われないように、と心配したからです。実際には彼は夢想家なんかじゃなかったのですが。
 ——オスカー・ワイルド「幸福の王子」(訳・結城浩)より

◎知っている話、知らない話

 朗読者が有名な、たとえば芥川龍之介の「羅生門」のような話を朗読しはじめると、オーディエンスはたいてい、「あ、この話、知ってる」とうれしい気分になります。そして自分が読んで記憶しているストーリーに照らしあわせて、自分の記憶がまちがいないことを確認して喜んだり、あるいは記憶から飛んでしまっている部分を見つけて驚いたりします。
 知らない話が始まったときは、「これはどういう話なんだろう」とその筋や情景を追いかけはじめます。
 いずれにしても、朗読者が「どのように」読んでいるのか、彼は「どんな人なのか」ということにはなかなか意識は向かないのです(無意識的には違います)。

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