◎今日のテキスト
虔十《けんじゅう》はいつも繩《なわ》の帯をしめてわらって杜《もり》の中や畑の間をゆっくりあるいているのでした。
雨の中の青い藪《やぶ》を見てはよろこんで目をパチパチさせ青ぞらをどこまでも翔《か》けて行く鷹《たか》を見付けてははねあがって手をたたいてみんなに知らせました。
けれどもあんまり子供らが虔十をばかにして笑うものですから虔十はだんだん笑わないふりをするようになりました。
風がどうと吹いてぶなの葉がチラチラ光るときなどは虔十はもううれしくてうれしくてひとりでに笑えて仕方ないのを、無理やり大きく口をあき、はあはあ息だけついてごまかしながらいつまでもいつまでもそのぶなの木を見上げて立っているのでした。
——宮沢賢治「虔十公園林」より
◎頼まれごとを忘れてしまう、あるいはできないことについての解決策(二)
頼まれごとはもちろん、忘れようと思って忘れうわけではない。ついうっかり、とか、なにか事情があって不幸にも忘れてしまうのだ。頼まれごとをするとき、相手に約に立ちたくて、自分が相手に貢献したくて、引きうけるのだ。しかし、それがいま、約束をうっかり忘れてしまった。そのことに対する後悔と悲しみがあることを、まずしっかりと自覚する。
つぎに、相手の感情を見る。怒っているのか、失望しているのか、がっかりしているのか。そしてその感情は相手のどのニーズから来ているのかを見る。
すぎたことはもう取りもどしようがないけれじ、自分と相手の感情とニーズを大切に扱うことで、そこで喧嘩別れしてしまったり、気まずい関係にならないようにできる。
気まずくならず、やっていける大切なことですね。
返信削除ありがとうございます。
何かを引き受けるとき、それを行うことが今の自分のどんなニーズに繋がっているかを考えていきたいですが、そもそも、自分ができるキャパを超えて「これをやれば喜んでもらえるだとう。役に立てるだろう」というだけで引き受けることがないようにすることも大切なことだと思います。
相手の喜びを考えるのではなく、自分の喜びを考えるんですね。
返信削除相手に喜んでもらえることについて、それがどれほど自分自身のニーズを満たすことになるのか、それにしっかりつながっていれば、キャパを超えて引き受けすぎてしまうことはないはずです。
って、私もなかなかできないんですが。