2012年7月20日金曜日

7月20日

◎今日のテキスト

 友人と共に夕食後の散歩から帰って来たのは丁度七時前であった。夏の初めにありがちのいやに蒸し暑い風の無い重々しい気の耐えがたいまで身に迫って来る日で、室《へや》に入って洋燈《ランプ》を点けるのも懶《ものう》いので、暫くは戲談口《じょうだんぐち》などきき合いながら、黄昏《たそがれ》の微光の漂って居る室の中に、長々と寢転んでいた。
 ——若山牧水「一家」より

◎朗読者は物語の従者ではない

 朗読が始まると、聴衆はたいてい、その物語の筋を追おうとします。そして、その物語を読んでいる主人公であるはずの朗読者の存在を忘れてしまいます。私はそのことをとても残念に感じています。
 物語を追おうとする態度は、教育によってもたらされたと私はかんがえています。ストーリーを理解する、文章の意味を理解する、作者の意図を理解する。学校教育では繰り返しそのようなことを訓練されます。しかし、そのことが朗読者と聴衆のコミュニケーションを著しく阻害しているのです。
 朗読表現の現場においては、もっと違う聴き方があってもいいのではないかと私は考えています。

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