2012年7月12日木曜日

7月12日

◎今日のテキスト

 夕飯をすませておいて、馬淵の爺さんは家を出た。いつもの用ありげなせかせかした足どりが通寺町の露路をぬけ出て神楽坂通りへかかる頃には大部のろくなっている。どうやらここいらへんまでくれば寛いだ気分が出てきて、これが家を出る時からの妙に気づまりな思いを少しずつ払いのけてくれる。爺さんは帯にさしこんであった扇子をとって片手で単衣の衿をちょいとつまんで歩きながら懐へ大きく風をいれている。こうすると衿元のゆるみで猫背のつん出た頸のあたりが全で抜きえもんでもしているようにみえる。肴町の電車通りを突っきって真っすぐに歩いて行く。爺さんの頭からはもう、こだわりが影をひそめている。何かしらゆったりとした余裕のある心もちである。灯がはいったばかりの明るい店並へ眼をやったり、顔馴染の尾沢の番頭へ会釈をくれたりする。それから行きあう人の顔を眺めて何んの気もなしにそのうしろ姿を振りかえってみたりする。
 ——矢田津世子「神楽坂」より

◎全身で味わう

 たとえば料理を食べるとき、私たちはなにを味わっているのだろうか。
 味? 香り? 食感? 見た目? 食材? 器? 値段?
 そういったもの以外にも、私たちは多くの情報を受け取って食事している。そこにいる人、まわりの空気や物音。
 食べるという行為においても、一瞬一瞬を大切にし、受け取って、感謝し、自身の生・存在を味わいたい。味わうという行為を通じて、人生そのものを味わうことができる。

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