◎今日のテキスト
私は自分の仕事を神聖なものにしようとしていた。ねじ曲がろうとする自分の心をひっぱたいて、できるだけ伸び伸びしたまっすぐな明るい世界に出て、そこに自分の芸術の宮殿を築き上げようともがいていた。それは私にとってどれほど喜ばしい事だったろう。と同時にどれほど苦しい事だったろう。私の心の奥底には確かに――すべての人の心の奥底にあるのと同様な――火が燃えてはいたけれども、その火を燻《いぶ》らそうとする塵芥《ちりあくた》の堆積《たいせき》はまたひどいものだった。かきのけてもかきのけても容易に火の燃え立って来ないような瞬間には私はみじめだった。私は、机の向こうに開かれた窓から、冬が来て雪にうずもれて行く一面の畑を見渡しながら、滞りがちな筆をしかりつけしかりつけ運ばそうとしていた。
——有島武郎『生まれいずる悩み』より
◎朗読を音楽のように聴いてもらえないか
朗読をストーリーを追うだけの聴き方ではなく、音楽がそうであるように、朗読者=演奏者がその物語=曲目をどのように読んでいるのか=演奏しているのか、というふうには聴けないものだろうか。
朗読者からオーディエンスには、テキスト情報=ストーリーだけではなく、それがどのように読まれているのか、どんな声音なのか、朗読者の感情や身体性はどうなのか、といった膨大な情報が伝わっている。その部分に着目して朗読表現という行為をかんがえなければ、朗読の本質が理解できないのではないかと思っている。
渡辺知明です。このコメント感心しました。
返信削除『朗読の教科書』の感想はいかがですか。
この点についても第6章、第7章で論じています。
ご参考になるかと思います。
渡辺さん。
返信削除コメントありがうございます。
『朗読の教科書』はなかなか難解なのでまだ読了できてません。
ご指摘の章を読ませていただきますね。