2012年7月28日土曜日

7月28日

◎今日のテキスト

 私がどんなに質屋の世話になつたかといふ事は、これまで、小説に、随筆に、既にしばしば書いたことである。だが、私だとても、あの暖簾を単独でくぐるやうになる迄には、余程の決心を要した。私が友人を介して質屋の世話になり始めてから、友人なしに私一人でそこの敷居をまたぐやうになつた迄には、少なくとも二年の月日がかかつた。
 それは私が二十四歳の秋の末のことであつた。その秋の初の頃、私の出世を待ち兼ねて、私の母が長い間居候をしてゐた大和の知合の家に別れを告げて私を便つて上京して来たのであるが、当時私はただ一文の収入の方法も知らなかつたのであるが、仕様がないので、取敢ず本郷区西片町に小さな借家を見つけて、母と二人で暮しはじめた。さうして私は中学校の国語、漢文、英語等の教科書の註釈本の仕事をしてゐる人に頼んで、その下仕事をさしてもらふやうになつた事まではよかつたのであるが、幾ら私が精出しても、その人が報酬をくれないのである。
 ——宇野浩二「質屋の小僧」より

◎海を見る

「海派」「山派」などと、どちらが好きかで区別することがあるが、それで無理にいえば、私は海派だ。
 生まれは北陸の山間部で、海からは遠い地域だった。が、子どものころは家族でよく海に遊びに行った。
 山を抜けて海が見えると、私を含む子どもたちはいっせいに歓声をあげたものだ。
なぜ海をみると人は「わあー」といいたくなるのだろう。そしていつしか、大人になると、その感動を忘れがちになる。
 時々むしょうに海を見たくなる。そして自分が日本という海に囲まれた狭い国土の国に生まれたことを感謝する。

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