2012年7月24日火曜日

7月24日

◎今日のテキスト

 実は好奇心のゆえに、しかれども予は予が画師《えし》たるを利器として、ともかくも口実を設けつつ、予と兄弟もただならざる医学士高峰をしいて、某《それ》の日東京府下の一《ある》病院において、渠《かれ》が刀《とう》を下すべき、貴船《きふね》伯爵夫人の手術をば予をして見せしむることを余儀なくしたり。
 ——泉鏡花「外科室」より

◎ひと見知りという性質

 ひと見知りをするというのは、普通は子どもについていうことだが、大人でも平気で「自分はひと見知りなので」というようなことをいう人がいる。
 ひと見知りというのは、見知らぬ人にたいしてうまくものがいえなかったり、恥ずかしさを覚えたり、つまり平常心を失ってしまう状態をいうのだと思う。
 この原因はひとつしかなくて、子どもの場合も大人の場合も「人に自分がどのように思われるか」という外部評価のついての予断を持ってしまうからだ。子どもの場合は「自我」のめざめによってそれが起こるのだが、大人の場合はそれとは事情がことなる。
 大人の「ひと見知り」は、自我の扱いがうまく折り合っていないことから来る。自我にたいして過剰であったり、逆に過小であったり、いずれもマインドフルネスによる「いまここ」の等身大の自分自身についての意識が得られていないことが、その要因になっているようだ。

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