2012年7月8日日曜日

7月8日

◎今日のテキスト

 陽子が見つけて貰った貸間は、ふき子の家から大通りへ出て、三町ばかり離れていた。どこの海浜にでも、そこが少し有名な場所なら必ずつきものの、船頭の古手が別荘番の傍《かたわら》部屋貸をする、その一つであった。
 従妹のふき子がその年は身体を損ね、冬じゅう鎌倉住居であった。二月の或る日、陽子は弟と見舞旁《かたがた》遊びに行った。停車場を出たばかりで、もうこの辺の空気が東京と違うのが感じられた。大きな石の一の鳥居、松並木、俥《くるま》のゴム輪が砂まじりの路を心持よく行った。いかにも鎌倉らしい町や海辺の情景が、冬で人が少いため、一種独特の明るい闊達《かったつ》さで陽子の心に映った。
 ——宮本百合子「明るい海浜」より

◎一日二食

 私はたいてい、一日に二食という生活だが、そういうとたいていは驚かれる。しかし、実際にはそう驚くにはあたらないと思うのだが。なぜなら、人類は全世界的に、産業革命が起こるまでは一日二食、あるいはそれ以下だったという事実があるからだ。
 日本においても江戸時代までは一日二食だったという検証が多くある。明治以降、西洋化が進み、労働時間が増大するにしたがって、一日三食が習慣化した、というより国家政策によってそれが推進されたようだ。
 現代人は労働時間こそ長いが、消費エネルギーはそう多くない。江戸時代の人よりむしろ少ないのではないだろうか。だから一日二食でも平気だし、実際私はそれで健康的に毎日すごしている。

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