2012年3月9日金曜日

3月9日

◎今日のテキスト

 宗助《そうすけ》は先刻《さっき》から縁側へ座布団を持ち出して、日当りの好さそうな所へ気楽に胡坐《あぐら》をかいて見たが、やがて手に持っている雑誌を放り出すと共に、ごろりと横になった。秋日和《あきびより》と名のつくほどの上天気なので、往来を行く人の下駄の響が、静かな町だけに、朗らかに聞えて来る。肱枕《ひじまくら》をして軒から上を見上げると、奇麗《きれい》な空が一面に蒼《あお》く澄んでいる。その空が自分の寝ている縁側の、窮屈な寸法に較《くら》べて見ると、非常に広大である。たまの日曜にこうして緩《ゆっ》くり空を見るだけでもだいぶ違うなと思いながら、眉を寄せて、ぎらぎらする日をしばらく見つめていたが、眩《まぼ》しくなったので、今度はぐるりと寝返りをして障子の方を向いた。障子の中では細君が裁縫《しごと》をしている。
 ——夏目漱石『門』より

◎共感覚

 人の感覚はたとえば「五感」というように分類される。
 視覚、聴覚、触覚、臭覚、味覚で五感といわれているが、これは人の感覚神経にインプットされる「情報」として処理されている。コンピューターの内部で音も映像も、おなじデジタル情報として扱われているようなことが、人の脳内でもおこっている。
 音楽を聴いて映像が浮かんだり、絵を観て音が聴こえるような気がしたり、匂いで記憶が一瞬に戻ったりと、人はだれでも感覚の共鳴「共感覚」を持っている。「自分は共感覚がない」と思いこんでしまうとそれを体験することはできない。いつも感受性をフレッシュに持ち、身体のなかで起こっていることに耳をすます時間を持つこと。マインドフルネスを心がけること。これが豊かな感覚をもたらし、人生の時間をイキイキしたものにする。

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