2014年6月30日月曜日

マインドフルな6月30日

「あの人は性格が悪い」「この人はいい人だ」というジャッジを意識的にせよ無意識的にせよ、やってしまうことがあります。
だれかを「よい/悪い」という判断をしてレッテル貼りをするのは、こちら側の思いこみや都合にすぎません。
こちらにとって都合の悪いことでも、相手にとってはなにか切実なニーズがあって一生懸命やっているのかもしれません。
ジャッジすることをやめ、相手にどのようなニーズがあるのかを見る視線を持つことで、レッテルがはずれ、相手とのつながりの可能性が生まれます。

マインドフルの練習(185)
サイコロをふってみます。
サイコロがなければ鉛筆でもいいです(面に番号を書いておきます)。
出るだろう数を予想して、サイコロをころがします。
予想した数が出ましたか? それともはずれましたか?
あたったとき、あるいははずれたとき、自分のなかにどのような気持ちや感情があらわれるのか、できるだけ客観的に観察してみます。

2014年6月29日日曜日

マインドフルな6月29日

だれかのステージやライブを観に行く、たとえば友人が出演しているステージを観に行く。
そんなとき、つい「上手い/下手」とか「おもしろい/おもしろくない」「よい/わるい」といったジャッジを無意識にしてしまうことがあります。
それを手放すのは難しいのですが、そんなとき、ただ自分の内側に起こっていることを観察してみます。
社会的な価値、外側の基準ではなく、自分のなかにどんな感情やイメージが起こっているかに目を向けてみます。
友だちの演奏が「下手」でそれを痛いと感じているとしたら、そのことで自分のどういうニーズが損なわれているのか、友だちが「上手」に演奏することでどういうニーズが満たされるのかについてかんがえてみます。

マインドフルの練習(184)
スマホでもケータイでもデジタルカメラでもかまいません、それで目の前の風景(部屋のなかでもかまいません)を写してみます。
撮った写真をモニターに出して、見てみます。
その写真と、いま目の前にある現実の風景を、見比べてみてください。
写しとられた風景と現実の風景にはどんな違いがありますか? あるいはありませんか?

2014年6月28日土曜日

マインドフルな6月28日

人種差別主義者でなくても、外国人を見ると、反射的になんらかの「ジャッジ」をしてしまうことがあります。
金髪の白人を見る、中国語を話している集団を見る、ハングルで会話しているカップルを見る、そのとき反射的になにかをジャッジしてしまう。
アメリカ人ってこうだよね、中国人ってあつかましいよね、韓国人って気性が激しいよね、なんらかの先入観にもとづいて目の前の個人をもそのように見てしまいます。
そのとき、ジャッジを手放し、「なになに人」ではなく「この人」がどのような人なのか、ただ見て受け入れられるようになりたいものです。

マインドフルの練習(183)
蚊に刺されてしまうことがあります。
気がついたら肌にプツンと赤い腫れができていて、かゆみが生まれています。
そのかゆみを観察してみましょう。
耐えられないかゆみで、かかずにいられなくなるかもしれません。
指でかく前に、かゆみという感覚がどのようなものなのか、痛みとどうちがうのか、あるいはくすぐったさとどうちがうのか、しばらく観察してみます。

2014年6月27日金曜日

マインドフルな6月27日

私たちはなにかを見たり、聞いたり、あるいはおこなったりしたとき、たえずなんらかの「判断(ジャッジ)」をしています。
そのように教育されてきたし、またこの現代社会が「評価」にもとづいた構造で動いているからです。
なんのために評価をするかというと、すべてのモノや行為、あるいは人の存在そのものを金銭換算する必要があるからです。
それが経済優先社会です。
しかし、私たちの行動や存在そのものは、当然のことですが、金銭に換算できるものではありません。
「ジャッジを手放す」ことには困難がともないますが、しかし自分もふくめた人の尊厳を尊重するためには、それしか方法はないのです。

マインドフルの練習(182)
グラスに氷と水をいれ、揺すってみましょう。
どんな音がしますか?
氷がグラスにあたる音、水が揺れる音、ひょっとしたら氷がとけるときのかすかな音も聞こえるかもしれませんね。
グラスのなかの小さな世界に注目し、注意を傾けてみましょう。

2014年6月26日木曜日

マインドフルな6月26日

自分がなにかに対して「いやだ」と思ったとき、それは自分の大切にしていることを知るよいチャンスです。
たとえば「今日は仕事に行くのがいやだ」と思ったとき、その反対側にはどういうニーズがあるのかを見てみます。
疲れていて仕事に行きたくない? ならば休息のニーズがあるのかも。
上司とトラブルがあって会社に行きたくない? ならば安心や安全、あるいはつながりのニーズがあるのかも。
「いやだ」イコール「ノー」といっているとき、その反対側でなんにたいして「イエス」といっているのか、自分に聞いてみます。

マインドフルの練習(181)
カラになったペットボトルを空中で振ってみます。
ボトルの口が空気とこすれて、小さな音を立てます。
その音をよく聞いてみましょう。
その音を出すために、自分の手が動いています。
また、手は身体とつながって、身体全体も連動して動いています。
自分の身体の動きが音を作りだしているのを、ただ感じてみます。

2014年6月25日水曜日

マインドフルな6月25日

ひとりで食事することを「孤食」などと避けたいことのようにいう風潮があります。
もちろん、だれともいっしょに食事ができず、やむをえずひとりぼっちで食事する生活がつづいているのは寂しいですが、ひとりで食事すること自体が悪いことではありません。
ときにはひとり、きちんと食事と食材、そして自分自身に向きあって、ゆっくり時間をかけて食事してみましょう。
「食べる瞑想」という行《ぎょう》もありますが、食材をひとつひとつ味わいながら、そのことに意識を向け、ゆっくりと食事するのです。

マインドフルの練習(180)
コップのなかに水をいれ、机の上に置いてながめてみます。
透明な液体を通して、コップの向こう側の風景が見えますか?
そして、コップのなかの水はどこからやってきたものなのか、どこをどのようにしてやってきたのか、ちょっと想像してみます。
その想像と、コップのなかの水と、コップの向こう側の風景と、そしてあなた自身のつながりを感じてみましょう。
つながっている感じはしますか? それともまったくそんな感じはしませんか?

2014年6月24日火曜日

マインドフルな6月24日

毎日、おなじ生活をし、おなじ風景を見ておなじ場所を歩いている、そんななかでなにかあたらしいことに気づくのはむずかしい、と思う人がほとんどかもしれません。
しかし、日常の風景も私たちのありようも、毎日変化しつづけています。
たとえば道ばたの草花ひとつとっても、昨日とおなじものはありません。
そのような変化に気づくためには、自分自身の感受性がやわらかく開かれている必要があります。
マインドフルネスはそれをもたらしてくれます。

マインドフルの練習(179)
花でも草でも石ころでも、ゴミの紙切れでもかまいません、なんでもひとつ、外から採ってきます。
それを自分の気にいっている皿の上に置いてながめてみましょう。
どうですか? いま、外にあったものがあなたの部屋のなかにあります。
皿の上に外を感じることはできますか?

2014年6月23日月曜日

マインドフルな6月23日

ユニークで繊細な自分自身の外側を覆っている「社会性」は堅い殻のようですが、意外にもろい面もあります。
地球を覆っている地殻をイメージすればわかりやすいかもしれませんが、地殻も時々ひび割れてマグマが噴出したり(火山活動)、地殻変動をおこしたりします。
後天的に身につけた「社会性」を突きやぶって噴出しようとするものを上手に扱ってやらなければ、ときにそれは反社会的な行動として表現されてしまうこともあります(犯罪行為など)。
人が絵を描いたり歌を歌ったり踊りを踊ったりするのは、そのような地殻変動を表現する方法のひとつとしてかもしれません。

マインドフルの練習(178)
童謡や流行歌やCMソングの断片があたまのなかでリフレインし、どうしても消えてくれないという経験はだれもがあると思います。
そういうとき、意識的のそのメロディを口ずさんでみましょう。
大きな声で歌う必要はありません、ハミングでもかまいません。
くりかえし口ずさんでみます。
思考をてばなし、ただそのメロディをくりかえすことに集中してみます。

2014年6月22日日曜日

マインドフルな6月22日

この世界に「生きづらさ」を感じている人は多いでしょう。
それは当然のことなのです。
私たちはひとりひとり、オリジナルでユニークで繊細な存在として生まれ落ちます。
しかし、そのままでは「人間社会」という構造のなかで生きていけないので、教育によって「社会性」を身につけていきます。
つまり、他人や集団の都合のなかで生きていけるように自分自身のふるまいを制限するのです。
堅い殻のように自分を覆った「社会性」のなかで、ユニークで繊細な自分はいつも居心地の悪さを感じています。
その自分自身をどのように扱ってあげられるかが、「生きづらさ」を耐えられないものにするか、あるいは楽しめるものにするかの分かれ道となります。

マインドフルの練習(177)
足の裏の感触に注目しながらゆっくり歩くのは「歩く瞑想」にも通じます。
瞑想のやりかたには決まりはありません。
ただ移動していく足運びのようすや足の裏の感触の変化に注目しつづけ、思考を手放しながら歩くだけで、それは瞑想といってもいいでしょう。
時々、歩きながら瞑想する習慣を身につけましょう。

2014年6月21日土曜日

マインドフルな6月21日

なにか努力を要したり、めいっぱい能力が必要なことをおこなおうとするとき、私たちはよく「自分へのご褒美《ほうび》」を設定します。
しかし、これは逆効果になることがあります。
報酬をイメージしながらものごとをおこなうのは、いまここにないものにつながろうとしておこなうことであり、マインドフルとは遠い状態になります。
また、その報酬に魅力がなくなったときやる気は失せます。
報酬目当てではなく、ただ自分のニーズ・必要性・価値につながり、いまここの自分自身を生きることで、最大のパフォーマンスを発揮すればいいのです。

マインドフルの練習(176)
畳やカーペット、あるいは板の上に裸足で立ち、まず足の裏の感触をじっくりと味わいます。
それから片足を少し浮かし、足の裏で床の材料の感触をたしかめながら、前後左右に足裏をすべらせてみます。
じっくりと足裏で床を味わってから、元通りに立ち、それからおもむろにゆっくり歩いてみてください。
右足と左足の感覚はちがっていますか? あるいは変わらないですか?

2014年6月20日金曜日

マインドフルな6月20日

自分がマインドフルになること自体に対する警戒心を持つ人がいます。
私もはじめのころはそういった気持ちがあったように思います。
マインドフルネスを実践し、いまこの瞬間の自分自身に気づきつづけるのは、なにかこれまで見ないようにしてきた、あるいは見ないふりをしてきたものに直面するかのような怖れを感じることがあります。
そんなことに気づかなくても、過去の記憶や空想にしがみつき、覚醒することなく無意識に生きているほうが楽、という一種の「逃避」の誘惑が、人間のなかにはいつもあるのかもしれません。

マインドフルの練習(175)
家のなかで裸足になり、足の裏の感覚に注目してゆっくり歩いてみます。
より注目するために、うんとスローモーションで歩きます。
かかとが床につく、かかとから土踏まず、そして指の付け根、指へと順番に床についていく様子を、つぶさに観察してみます。
右足、左足と、何度か交互に、スローモーションで観察しながら歩いてみてください。

2014年6月19日木曜日

マインドフルな6月19日

なにか自分がやりたいことがあって、しかしそれを実現させるためにはクリアしなければならない問題がいくつかある、というようなことがよくあります。
そこの部分でめんどくさいとか、解決するのがむずかしそうだと感じて、結局肝心のやりたいことにたどりつかない、という経験はないでしょうか。
こまごました問題の前で立ちすくんでしまうのは、自分の「やりたいこと」の必要性(ニーズ)にしっかりつながっていないためで、ニーズがくっきりと見えていたらどんな障壁でも乗りこえること自体に喜びをおぼえます。
逆にいえば、自分がしっかりとニーズにつながっているかいないかは、障壁を喜んでクリアできるか、あるいは面倒でいやいややっているかでわかります。

マインドフルの練習(174)
視覚に障害がある人が使う「点字」にさわってみたことはありますか?
公共スペースのあちこちにけっこうあるものです。
電車のドア、切符売り場、図書館や役所のトイレ、エレベーター脇など、気をつけてみるとたくさん発見できます。
混雑していない時を見計らって、その点字に触ってみましょう。
指先でてんてんを識別できますか?
てんてんは指先にどんなふうな感触を伝えてきますか?

2014年6月18日水曜日

マインドフルな6月18日

あれこれかんがえて計画性を持つことと、いまここの自分自身に目を向けるマインドフルネスとは、矛盾しないのか、と訊かれることがあります。
もちろん、予定を立てたり計画したり、目標を持ったりするのは、思考そのものですが、いざなにごとかをおこなうときにはいまのこの瞬間の自分自身のありようにマインドフルになり、起こっていることに気づきつづけるのは、自分の能力をもっとも発揮できる方法です。
計画性を持ちながらもマインドフルネスを実践すること、これが他の動物と人間のちがうところです。
もちろん、どちらがえらい、ということではありません。

マインドフルの練習(173)
コンビニエンス・ストアにはいる前に、自分の呼吸にもどり、マインドフルネスをこころがけてみます。
それからおもむろに店のドアをあけます(たいていは自動ドアでしょう)。
ドアがひらいたとき、そこを出入りする空気、物音、においといったものに注意を向けつづけ、またそれを受けとっている自分自身の感じにも意識を持ちます。
ふだんなにげなく出入りしているドアが、気づきのためのきっかけをもたらしてくれるかもしれません。

2014年6月17日火曜日

マインドフルな6月17日

片付けなければならない用事がつぎつぎとやってきて、自分の処理能力を超えそうになることがあります。
ついパニックになりそうになりかけますが、そんなときみなさんはどうやっていますか?
優先順位をつけてひとつずつ片付けていく?
五つの用事があるとして、それを全部片付けたいのに、優先順位をつける理由はなんでしょう。
いずれにしても、一から五まで片付けなければ終わりません。
もっとも有効な手だては、自分の集中力とパフォーマンスを向上させつつ、ひとつずつ落ちついて片付けていくことでしょう。
そんなとき、マインドフルネスが役に立ちます。

マインドフルの練習(172)
朝起きてカーテンを開けるとき、呼吸もいっしょにおこなってみてはいかがでしょう。
カーテンの前に立ち、呼吸をゆっくりと吐きだし、それから吸いながらカーテンを開けてみます。
光が差しこむと同時に、肺のなかに新鮮な空気がはいってきます。
そのことを同時に味わってみます。

2014年6月16日月曜日

マインドフルな6月16日

自分がだれかに対して攻撃的になり、攻撃的な言葉を投げつけたり暴力をふるいたくなったとき、あなたのなかにある恐怖心に気づくことができます。
だれかを攻撃するのは自分を守るためです。
自分のなかになにか守りたいものがあり、それを守るための十分な強さがない、相手にそれを侵害されるかもしれないという恐怖が生まれたとき、人は攻撃的になります。
自分が攻撃的になるのは自分の弱さのせいだと知る必要があります。

マインドフルの練習(171)
朝起きてカーテンを開けるとき、窓を開けるとき、ドアを開けて外に出るとき、電車のドアが開くとき、コンビニの自動ドアが開くとき、自分の目の前の障害物が取りはらわれて外のものが自分のなかに流れこんでくる瞬間を楽しんでみましょう。
開くドアの前に立ったら、それが開きはじめて、開いていき、完全に開ききるまでの過程を、マインドフルに受けいれてみます。

2014年6月15日日曜日

マインドフルな6月15日

だれかを攻撃している人を見ると「怖い」と思います。
その攻撃が自分に向けられることを想像してしまうし、実際に自分も攻撃されることがあります。
直接的な暴力でなくても、攻撃的なことばを投げつけられたり、にらまれたりといった態度であったりもします。
ある人が攻撃的になるのは、相手を攻撃するためではなく、自分を守るためです。
攻撃的になっている人を見たら、その人がなにを懸命に守ろうとしているのか見てあげると、「怖い」という気持ちは少し落ち着きますし、その人を「人として」見られるようになります。

マインドフルの練習(170)
湯船に首までつかります。
水面が静まるのを待って、深く息を吸ってみます。
肺に空気がはいり、身体の体積が増えるので、水面がわずかではあるけれど上昇するのが観察できるでしょう。
今度は息を吐いてみます。
水面が下がっていくのが観察できるでしょう。
ゆっくり息を吸ったり吐いたりして、呼吸という自分の運動が引きおこす水面の変化を観察してみてください。

2014年6月14日土曜日

マインドフルな6月14日

怒りの感情には強いエネルギーがあります。
いや、物質的に数量化できるエネルギーというわけではありませんが、精神的な動きとして質量があるように感じる、という意味です。
強いエネルギーなのでついその現象に目を奪われ、そのエネルギーが生まれる元のところになかなか目が行きませんが、逆にエネルギーが強い分、その生まれる元をはっきりと指し示しているともいえます。
強い感情はあなたの大切にしていることをはっきり指し示すレーダーのように働きます。

マインドフルの練習(169)
食感が楽しい食べ物があります。
たとえば、塩ゆでしたスナップエンドウ。
ゆでたてのものを口にいれ、シャキシャキと噛みながら味わってみます。
その歯触り、食感、甘み、香り、噛んでしだいに細かくなって、口のなかに広がっていく感じ。
ひとつの食材を口に入れる瞬間から、口のなかから喉へと送られてなくなる瞬間まで、全部味わってみましょう。

2014年6月13日金曜日

マインドフルな6月13日

あなたに愚痴をこぼしてばかりいる人は、あなたにどうにかしてもらいたいのではなく、ただ聴いてもらいたい、共感してもらいたいだけです。
愚痴を聞いたとき、あなたは、相手がなにを大切にしているのか、どんなニーズが損なわれて悲しんだりイライラしたりつらくなったりしているのか、そこを見てあげます。
「なにがつらいのかな?」
と、ただそういう気持ちでだまって聴いているだけでも、相手は楽になるものです。
あなたに自分のことを聴いてもらえたと感じたとき、その人の愚痴はとまるでしょう。

マインドフルの練習(168)
フライパンでなにかを炒めるときに、ちょっと感覚をすましてみます。
聴覚、臭覚、触覚、味覚、視覚、いろいろな感覚をフル動員して、フライパンのなかで起こっているカーニバルを味わってみましょう。

2014年6月12日木曜日

マインドフルな6月12日

親しい間柄の人――家族や友人――に愚痴をこぼしてばかりいる人がいます。
たとえば親から「膝が痛い」だの「医者が信用できない」だの「最近疲れてなにもできない」といった愚痴をこぼされます。
たとえば友人から「仕事がきつくて自分のことに時間が取れない」とか「人間関係に疲れた」といった愚痴をこぼされます。
そういう話を聞くと、私たちはすぐ、どうにかしてあげたくなってアドバイスをしたり、なにか手助けできることはないかとあわてたりするんですが、彼らはそういうことをあなたに求めているわけではありません。
ただ共感してもらいたい、あなたに自分の状況を理解してもらいたいだけなのです。

マインドフルの練習(167)
雨が降っているときに、雨の音に耳をすましてみます。
雨が降りだすとなんとなく漠然と雨の音を「全体的」に聞いてしまうんですが、よく聞いてみると雨の音というのはさまざまな音が混じっています。
屋根の上で水がはねる音、雨樋を流れる水の音、植物の葉にあたる音、道路に落ちる音、走る車にあたる音、車のタイヤが水をはねあげる音、人が濡れた路面を歩く音、さまざまな音がします。
どれだけいろいろな音に気づくことができるか、しばらく耳をすましてみましょう。

2014年6月11日水曜日

マインドフルな6月11日

自分に都合が悪いことをいう人のことを「敵だ」と思いこんでしまいがちです。
しかし、その相手は、あなたに不都合を与えようとしてそんなことをいったのでしょうか?
そんなことはめったにあることではありません。
ほとんどの場合、その相手は、なんらかの自分のニーズを満たそうとしてそのような言動をおこなっただけなのです。
相手が自分のニーズを満たそうとして懸命に生きていることについて尊重できるかどうか、それができれば、あなたも相手から尊重してもらえるかもしれません。

マインドフルの練習(166)
とても暑い日、ちょっと歩いたり動いたりするだけで汗が流れるような日、あるいはじっとしているだけでも汗が流れるような日。
自分の身体から汗がにじみだして流れるようすを観察してみましょう。
暑さを感じた身体は勝手に汗腺をひらき、汗をだして体温をさげようとしてくれます。
その自然の働きについて、敬意をもって観察してみます。

2014年6月10日火曜日

マインドフルな6月10日

「あの人はこういう人だ」といったん思いこんでしまうと、なかなかそのイメージから離れられなくなってしまいます。
しかしそれはあなたの思いこみなのです。
自分自身を振り返ればわかりますが、人はさまざまな側面を持っているし、刻一刻とニーズは移りかわり、行動も変化します。
「こういう人だ」と規定などしようがないのです。
できるのは、「いまこの瞬間、この人にはどういうニーズがあるのか」を見ることだけです。

マインドフルの練習(165)
とても暑いと感じる日があったとします。
そのとき、いったん呼吸に目を向けて、身体全体を落ちつかせます。
顔面、とくに額や鼻、頬のあたりは熱に敏感ですね。
そのあたりに注目して、空気の熱を感じてみます。
肌に熱がどのように伝わってきますか?
汗腺がひらいて汗が出てくるのを感じますか?

2014年6月9日月曜日

マインドフルな6月9日

アンフィニッシュド・ワーク(unfinished work)を「フィニッシュド」にする作業は、人生をクリアにします。
油でギトギトしている換気扇のことがずっと気になっていたとしたら、「清潔」や「快適」のニーズがあることがわかり、そのニーズを満たすためには換気扇の掃除をすればいいのです。
すぐにすっきりします。
問題はすぐに終わらせられないものがある場合です。
友人から本を借りっぱなしになっているのに、その友人とはすでに縁遠くなってしまっていて、住所も連絡先もわからない。
そういう場合も、まずは、自分の満たされていないニーズがなんなのか、それを丁寧に見てみます。

マインドフルの練習(164)
椅子にすわります。
背中を丸め、肩をすぼめて呼吸をしてみるんですが、まずは全部吐ききってみます。
それから吸えるだけ吸ってみます。
つぎに背骨をのばし、肩をひらいて、おなじことをしてみます。
そのときの胸まわりの感じ、身体全体の感じ、足の裏や指先の感じまで、丁寧に観察してみましょう。

2014年6月8日日曜日

マインドフルな6月8日

英語ではアンフィニッシュド・ワーク(unfinished work)といいますが、だれしもまだ終わらせていない気がかりなことのいくつかを持っています。
喧嘩別れしてしまった友人、油でギトギトしている換気扇、返送していない契約書、借りっぱなしの本。
これらのことにケリをつけて、人生をすっきりさせましょう。
といっても、いますぐに終わらせられないこともあるかもしれません。
そういうときはまず、それらにケリをつけられていないことで自分のどんなニーズが満たされていないのか、時間をかけてかんがえてみます。
ニーズが見えてきたら、それにたいしてなにができるかかんがえてみましょう。

マインドフルの練習(163)
椅子にすわります。
背中を丸め、肩をすぼめて、何度か呼吸をして観察してみます。
つぎに背骨をのばし、肩をひらいて、何度か呼吸をしてみます。
どんなふうな感じがしますか?
それは心地よいですか、それとも不快ですか?
違いはありますか?
あるとしたらどんな違いですか?

2014年6月7日土曜日

マインドフルな6月7日

道ばたに花が咲いていると、きれいだなと足をとめて見ます。
それにたいしてお金を払おうという人はいませんが、その花を囲って見るのに入場料を取ったり、あるいは鉢に植え替えて売ったりする人がいて、花にお金を払う人も出てきます。
人為的な経済のいとなみですが、そういう人為とは別のところで植物はせいいっぱい花を咲かせます。
それとおなじように歌をうたったり、朗読したり、絵を描いたり、人は経済とは関係のないところでただ表現したいというおおもとのこころを持っているものです。

マインドフルの練習(162)
柱でもテーブルでもいいですが、自分から見て真正面の目印になるものを決めて、その前に立ちます。
目を閉じて、その場でゆっくりと横にぐるりと一回転します。
右回りでも左回りでもかまいません。
一回転した、と自分が思えたところで止まり、目をあけます。
目印の真正面にもどっていますか? それともずれていますか? どのくらいずれていますか?

2014年6月6日金曜日

マインドフルな6月6日

人がなにか話したり行動したりするとき、それはかならずニーズ(必要性)や価値観にもとずいています。
自分から見て理不尽だったり理解不能の言動だったとしても、当事者にとっては切実なニーズがあってそうしているのです。
犯罪などの反社会的行為だとしても、それは当人の切実なニーズにもとずいています。
そのニーズを知ろう、理解しよう、共感しようとするのか、それとも理解不能だから無視したり敵対したり罰したりするのかで、社会性や関係性は大きく変わります。

マインドフルの練習(161)
ズボンでもスカートでもポケットのあるものをはいているとき、ポケットに手を突っこんでみてください。
両手があいてれば両手でもいいですが、片手でもかまいません。
その状態ですこし歩いてみます。
それから、ポケットから手を出して歩いてみます。
そのとき、足の裏の感じに注目してみてください。
なにか変化がありますか?

2014年6月5日木曜日

マインドフルな6月5日

人間の認知能力はじつに不完全で、思考がさらにそれをしばしばゆがませます。
自分に向かって不都合なことをいったり行動する人を、「自分の敵だ」と判断して、必要以上に憎んだり、避けたり、攻撃したりします。
しかし、相手は本当にあなたに敵対してそういう行動をとっているのでしょうか。
相手は相手なりのなにか必要性や都合があって、たまたまあなたに不都合な行動をとっているだけなのかもしれません。
相手にたいする思いこみや特定の判断を手放してみたとき、そこに本当の相手の姿がようやく見えてくるかもしれません。

マインドフルの練習(160)
歩いていて、木が生えている場所にさしかかったら、そこに立ちどまって木をながめてみてください。
いろいろなことをかんがえずに、ただながめます。
木全体の形、枝ぶり、葉が揺れるさま、音、におい、幹の手触りなど、静かな生命の存在を感じとってみてください。

2014年6月4日水曜日

マインドフルな6月4日

自分の呼吸を思いだし、マインドフルネスの実践をするためのトリガー(きっかけ)を、なにか自分の生活のなかで作っておくとよいでしょう。
マインドフルネスの瞑想の実践者であり、僧侶でもあるティク・ナット・ハン師は、「鐘を招く」といって自身のリトリートで鐘を鳴らします。
その音を聞いたら、参加者は自分の呼吸を思いだし、マインドフルネスの実践をします。
私たちの生活のなかでは鐘が鳴るということはそうそうないので、なにか代わりになるものを見つけておきます。
たとえば私の場合、「待つ」という行為をトリガーにしています。
信号を待つ、電車を待つ、お湯が沸くのを待つ、コンピューターが起動するのを待つ、といったタイミングで呼吸に目を向けるのです。

マインドフルの練習(159)
口をあけ、ゆっくりと長く「アー」と声を出してみます。
つぎに、口をあけたまま、今度は口からではなく鼻から「ンー」と声を出してみます。
口を閉じて鼻から声を出すのはハミングですが、口をあけたままハミングとおなじように鼻から声を出すのは、最初ちょっとコツがいるかもしれません。
口から声を出すときと、鼻から声を出すときとでは、違った感じがしますが、その違いを観察してみます。

2014年6月3日火曜日

マインドフルな6月3日

友人からこんなことをいわれました。
「毎日がいそがしくてマインドレスで、まずは呼吸というけれど、呼吸に目を向けることすら思いだせないまま一日があわただしくすぎていく」
友人を責めることはできません。
私たちはそんなふうに生きています。
だから、呼吸に目を向けることを思いだすための、なにか自分だけの合図・きっかけのようなものを作っておきましょう。
たとえば、なにかするときにタイマーをかけておいて、20分たったらタイマーが鳴り、呼吸のことを思いだす、というふうに。

マインドフルの練習(158)
口をあけ、まず口から「ハー」と息を吐きます。
次に、口をあけたまま、口からではなく鼻から「フー」と息を吐いてみてください。
口から吐くときと鼻から吐くときとでは、舌の位置が変わるのがわかると思います。
それをしっかりと観察してみてください。
私たちには「無意識にやっていること」「無意識にやれること」「意識的にやっていること」「意識的にやれること」があるのです。

2014年6月2日月曜日

マインドフルな6月2日

手帳やメモをつけるのが苦手という人がいます。
すぐ忘れてしまって続かない、という人もいます。
手帳を自分の「友人」だと思ってみてはいかがでしょうか。
なにか思いついたり、疑問に思ったり、気づいたり、なにか問題があったときに、すぐに話を聞いてくれる友人です。
友人に話をするように、手帳にものを書きつけてみます。
返事はありませんが、ただ友人がこちらの話を聞いてくれるかのように、いつでもページを開くことができます。

マインドフルの練習(157)
口をあけ、「ハー」と息を吐きながら、その途中で「アー」と声を出してみます。
あるいは「アー」と声を出しながら、途中で声帯をあけ、「ハー」という呼吸だけにしてみます。
「ハー」と「アー」をひとつの呼吸のなかで行ったり来たりできるでしょうか。
最初はちょっとやりにくいかもしれませんが、コツをつかめばすぐに何度でもできるようになるでしょう。

2014年6月1日日曜日

マインドフルな6月1日

マインドフルネスの練習をするための手帳を一冊、用意することをよくすすめます。
どんな手帳でもかまいません、大学ノートでもいいのです。
とにかく、いつも持ちあるいて、自分の手で書きつけられるものがあるといいでしょう。
そこにマインドフルネスの練習のときに気づいたこと、疑問に思ったこと、感じたことなど、なんでも書いておきます。
時々それを読みかえしてみます。
読みかえしたときに、またあらたな発見や気づき、疑問が生まれるかもしれません。
それもまた書いておきます。

マインドフルの練習(156)
口をあけ、「ハー」と息を吐いてみます。
つぎに、おなじ口をあけた状態で「アー」と声を出してみます。
息を吐くのと声を出すのは似ていることに気づくでしょうか。
しかし、声を出すときには声帯の門は閉じられており、息を吐くときには開いています。
声帯を閉じたりあけたりして、声を出したり出さなかったり、くりかえしてみてください。
そのようすと感じを丁寧に観察してみます。