2012年12月31日月曜日

12月31日


◎今日のテキスト

 長いクロワゼットの散歩路が、あおあおとした海に沿うて、ゆるやかな弧を描いている。遥か右のほうに当って、エストゥレルの山塊がながく海のなかに突き出て眼界を遮り、一望千里の眺めはないが、奇々妙々を極めた嶺岑《みね》をいくつとなく擁するその山姿は、いかにも南国へ来たことを思わせる、うつくしい眺めであった。
 頭を囘《めぐ》らして右のほうを望むと、サント・マルグリット島とサント・オノラ島が、波のうえにぽっかり浮び、樅《もみ》の木に蔽われたその島の背を二つ見せている。
 ――モオパッサン「初雪」(訳・秋田滋)より

◎大晦日

 いよいよ2012年も最後の日となった。今年二月から丸一年つづけようと決意してスタートしたこの「音読日めくり」は、残すところ一か月ちょっととなった。我ながらよくつづいたものだと思う。ただの一日も休むことがなかったのは、自分へのお祝いとしたい。
 自分がなにかやりとげたとき、それをきちんと認識して「お祝い」するのは重要なことだ。とはいえ、私にとってとても苦手なことでもある。自分をお祝いするということばや行為には、どこか罪悪感をともなうようなところがある。なので、なにか自分にとって大切なことをやりとげても、なかば無意識にそれから目をそむけ、「つぎ行こう」みたいに先のことに目をむけようという「癖」が身にしみついていることに気づく。
 しかし、それだと自分をきちんと扱っていないことになり、結局のところはまわりの人にも迷惑をかけることになってしまう。思えばそのようなことが連続していた人生のような気がする。せめてあたらしい年は……

2012年12月30日日曜日

12月30日


◎今日のテキスト

 まだすこしもスポオツの流行《はや》らなかった昔の冬の方が私は好きだ。
 人は冬をすこし怖《こわ》がっていた、それほど冬は猛烈で手きびしかった。
 人はわが家に帰るために、いささか勇気を奮って、
 ベツレヘムの博士のように、真っ白にきらきらしながら、冬を冒して行ったものだ。
 そうして私たちの冬の慰めとなっていた、すばらしい焚火は、力づよく活気のある焚火、本当の焚火だった。
 人は書きわずらった、すっかり指がかじかんでしまったので。
 けれども、助力し合って、夢みたり、失せやすい思い出をすこしでも引きとどめたりすることの、なんというよろこび……
 思い出はすぐそばにやって来て、夏のときよりかずっとよくそれが見られたものだ。……人はそれに彩色までした。
 こうして室内ではすべてが絵のようだった。

  それにひきかえ戸外では、すべてが版画の趣《おもむき》になっていた。
  そうして樹々は、自分たちの家で、ランプをつけながら仕事をしていた……

 ――ライネル・マリア・リルケ「冬」(訳・堀辰雄)より

◎判断・評価を手放さなくてよい

「あなた、こうよね」
 という判断や評価はついやってしまいがちだけど、やってはならない、ということではない。判断や評価が自分の思いこみではないことを相手に確認すればよい。

2012年12月29日土曜日

12月29日


◎今日のテキスト

 われ非情の大河を下り行くほどに
 曳舟の綱手のさそいいつか無し。
 喊《わめ》き罵る赤人等、水夫を裸に的にして
 色鮮やかにえどりたる杙《くひ》に結いつけ射止めたり。

 われいかでかかる船員に心残あらむ、
 ゆけ、フラマンの小麦船、イギリスの綿船よ、
 かの乗組の去りしより騷擾はたと止みければ、
 大河はわれを思いのままに下り行かしむ。

 ――アルテュル・ランボオ「酔いどれ船」(訳・上田敏)より

◎全身を耳にして聴く(三)

 目を閉じ、視覚を遮断すると、おもしろい効果がわかる。遮断された感覚をおぎなおうとして、ほかの感覚が鋭くなるのだ。聴覚はもちろん、味覚も触覚も臭覚も鋭くなる。この現象を利用して、自分の感覚をとぎすましたり、スイッチをいれる練習ができる。
 目を閉じて自分のまわりの音を収集する練習をすると、どんどん聴覚が鋭くなっていくことに気づくだろう。これはなにも聴覚が物理的によくなったのではなく、もともと持っている眠っていた能力が立ちあがってきたにすぎない。
 そのように私たちは多くのポテンシャルを持ちながらそれを眠らせてしまっている。

2012年12月28日金曜日

12月28日


◎今日のテキスト

 懐中時計が箪笥の向う側へ落ちて一人でチクタクと動いておりました。
 鼠が見つけて笑いました。
「馬鹿だなあ。誰も見る者はないのに、何だって動いているんだえ」
「人の見ない時でも動いているから、いつ見られても役に立つのさ」
 と懐中時計は答えました。
「人の見ない時だけか、又は人が見ている時だけに働いているものはどちらも泥棒だよ」
 鼠は恥かしくなってコソコソと逃げて行きました。
 ――夢野久作「懐中時計」より

◎全身を耳にして聴く(二)

 私が尊敬するアメリカのアーティスト、ポーリン・オリヴェロスは『ソニック・メディテーション』という本のなかで「サウンド・エデュケーション」を提唱している。現代社会における教育では、日本も含めて、とかく視覚情報に偏る傾向がある。耳をすまし、音に注意を向けることで、あらためてさまざまな気づきが生まれ、繊細な感性が育つというかんがえかただ。
 彼女の本にはさまざまな聴覚エチュードが提案されていて、どれもおもしろい。たとえば、目を閉じ、耳をすまして自分の回りの音を「採集してみる」というようなシンプルなものもある。

2012年12月27日木曜日

12月27日


◎今日のテキスト

 百舌鳥や
 きいり きり
 鉄砲ぶちにきをつけろ

 あつちみろ
 こつちみろ
 もずや
 きいり きり
 枯草山《かれくさやま》に火をつけろ

 ――山村暮鳥「百舌鳥」より

◎全身を耳にして聴く(一)

 音読/朗読が上達するにはどうしたらいいか、という質問はしょっちゅう受けるのだが、その一番の近道として私が推奨するのは「耳をよくする」ということだ。
 耳をよくするといっても、物理的に小さな音が聴こえるようになるとか、聴こえなかった高音や低温まで聴こえるようになる、ということではない。
 私たち現代人は普段の生活において、無意識に聴覚の感度を落としている。そうしなければ必要な情報の取捨選択がうまくいかないからだ。テレビを観たり本を読んだりしているときに、いちいち外を通る車の音や鳥の鳴き声に気を取られてはいられないので、いわば聴覚のスイッチを切ったり、「低」に感度を落としたりしている。このスイッチのオン/オフや高感度にするスキルを身につけておくと、音声表現は非常にレベルアップしていく。

2012年12月26日水曜日

12月26日


◎今日のテキスト

 ちょうど科学者が少しでもこの世を真理に近づけたいと仕事に勤《いそし》むように、私は生きている間に少しでもこの世を美しくしてゆきたいと念じている者です。宗教家の身になれば、どうかして神の国をこの世に具現したいと希《ねが》うでしょう。同じように私は美の国をこの世に来したいばかりに、様々なことを考えまた行おうとしているのです。
 ――柳宗悦「美の国と民藝」より

◎電子ブック『共感的コミュニケーション〔入門編〕』

 音読療法においても重要なファクターのひとつ、共感的コミュニケーションについての電子ブックをリリースする。
 これは、精神医学での最新のホットトピックであるところの認知行動療法や、マインドフルネス認知療法にとても近いスキルで、私の理解ではほとんど同一といっていいほどのものだ。しかし、医療行為ではなく、だれもが日常生活のなかで使っていけるものであり、精神的なものだけでなく社会的なコミュニケーションの問題も解決できる可能性を持っているスキルなので、とてもパワフルなものである。
 アメリカの心理学者マーシャル・ローゼンバーグが提唱したNVC(Nonviolent Communication)を全面的にベースとしているが、より日本の社会風土や日本人の心理・言語に親和性を持ったものにできないかと思い、私なりにまとめたものだ。
 BCCKS、パブー、Kindleなどの電子ブックサイトで配信される予定なので、ぜひチェックしてみてほしい。

2012年12月25日火曜日

12月25日


◎今日のテキスト

 隣りの紺屋の婆様から、ぎんはこんな昔語りをきいた。
 或る山の中に男が一人小屋がけをして住んでいた。働いても働いても食うに事かく有様で、おのれの行末を考えては心細がっていた。或る晩大風があってほうぼうの大木が倒され畠の粟や稗がみんな吹きこぼれて、あっちこっちで助けてけろ助けてけろという叫び声がする。男は行きつけの旦那衆の手伝いをして家に帰って寝たが、夜中にどこからか助けてけろ助けてけろというかぼそい叫び声がきこえる。はて何処だべと思いながら夜を明かした。朝になって山へ柴刈に行ったが、まだゆうべの助けてけろ助けてけろという声がするから、だんだん尋ねて行くと、きのうの大風で倒れた古木の洞に住んでいた鴻の鳥が、木の間に体がはさまってどうすることも出来ずにキイキイ鳴いているのであった。
 ――矢田津世子「鴻ノ巣女房」より

◎ゆっくりと歩くことで「いまここ」を意識する

 瞑想法のひとつに「歩く瞑想」というものがあって、それにはいろいろなやり方があったり、厳密なやり方を指導している方もいるようだが、むずかしくかんがえなくてもだれでも手軽に「ゆっくり歩く」ことに注意を向けることで「いまここ」のプレゼンスを意識できるようになる。
 通勤途中でも買物に行くときでも、あるいは散歩のときでもいいのだが、とてもゆっくりと歩いてみる。どのくらいゆっくりかというと、自分がいま右足を出している、次に左足を出している、足の裏が着地した、足の裏が地面から離れた、つま先が前方に移動した、という「自覚」を言葉にしなくてもいいからはっきりと持てるくらいのスローテンポで歩いてみる。そのときに、自分がいろいろな思考や判断を持たずに、ただ自分が歩いていることだけに集中して歩く動きを感じられればいい。

2012年12月24日月曜日

12月24日


◎今日のテキスト

 古い話である。僕は偶然それが明治十三年の出来事だと云うことを記憶している。どうして年をはっきり覚えているかと云うと、その頃僕は東京大学の鉄門の真向いにあった、上条《かみじょう》と云う下宿屋に、この話の主人公と壁一つ隔てた隣同士になって住んでいたからである。その上条が明治十四年に自火で焼けた時、僕も焼け出された一人《いちにん》であった。その火事のあった前年の出来事だと云うことを、僕は覚えているからである。
 ――森鴎外『雁』より

◎苦手意識

 自分が「〜が苦手」と思うことは、ときに思いこみにすぎないことがある。一度あるいは数回の失敗体験によって、それが「苦手だ」というふうに思いこんでしまって、またそれをしようとするときに不必要に緊張したり、身体が固まったりして、また失敗に結びついてさらに苦手意識を深めてしまう。
 思いこみはセルフジャッジメントなので、自分に対するジャッジを捨てられたとき、苦手意識がフッとなくなることがある。すると身体から力が抜け、緊張もなくなり、自分本来のパフォーマンスができるようになって、苦手だと思っていたことが簡単にできてしまったりする。

2012年12月23日日曜日

12月23日


◎今日のテキスト

 自分の頭が混乱したり、気持がよわくなったり、心が疲れたりしたときには、私はよく歩きに出かけます。
 それはたいがいのばあい、そういう自分の状態をなおそうとハッキリ思ってすることではなく、本能的にすることです。ほとんど無意識のうちに私は立ちあがり、かんたんな身支度をして家を出て、外を歩いています。それはまず、私が外気の中にいることが好きなこと、風景を見ることが好きなこと、知らない人びとの姿や顔を眺めることが好きなことなどのせいもあるらしいが、それだけではないようです。また、ふつうの言う意味の散歩ともすこしちがいます。
 ――三好十郎「歩くこと」より

◎歩くこと

 走れればいいのにと思うけれど、膝に故障があるので走れなくなってもう十年以上になる。その代わり、ほぼ毎日歩いている。
 歩くことは運動量を確保するほかに、三好十郎が書いているようにいろいろなことが起こる。風景、季節の移り変わり、植物、出会う人、風、空、さまざまな体験がある。毎日おなじ道を歩いていても、それはかならず違う風景をもたらしてくれる。
 この世にはなにひとつ変わらないものはない、つまり「無常」という仏教的な感覚を、毎日歩くことによって確認することができる。

2012年12月22日土曜日

12月22日


◎今日のテキスト

 女学校はお茶の水の聖堂のとなりに、広大な敷地をもっていた。聖堂よりに正門があって、ダラダラ坂の車まわしをのぼると、明治初代の建築である古風な赤煉瓦の建物があった。年を経た樫の樹が車まわしの右側から聖堂の境に茂っていてその鬱蒼とした蔭に、女高師の学生用の弓場があった。弓場のあるあたりは、ブランコなどがある広くない中庭をかこんで女学校の校舎が建てられているところから遠くて、長い昼の休み時間にしか遊びにゆけなかった。低い丘のようになった暗い樫の樹かげをぬけ、丘の一番高いところに立って眺めると、一面の罌粟畑で、色様々の大輪の花が太陽の下で燃え立ち咲き乱れていた。それは、女学生になって初めての夏の眺めで、翌年から、そこに新校舎の建築がはじめられた。
 ――宮本百合子「女の学校」より

◎日が長くなっていく日々

 一年でもっとも昼がみじかい冬至がすぎて、これからは一日一日、少しずつ昼が長くなっていく。寒さのピークはまだ先のことだが、陽の光が多くなっていく日々にさしかかったと思うのはなんとなく元気な気持ちになる。
 寒いけれどがんばって早起きを心がけ、呼吸法やストレッチ、自分なりの運動と規則正しくバランスのとれた食生活をつづけて、体調よく新年を迎えたい。
 気持ちが沈むニュースや思わしくない世相があるが、なによりも自分自身の心身がととのっていればさまざまなトラブルにも対処できるだろうし、人にも貢献するチャンスがあるかもしれない。

2012年12月21日金曜日

12月21日


◎今日のテキスト

 オツベルときたら大したもんだ。稲扱《いねこき》器械の六台も据《す》えつけて、のんのんのんのんのんのんと、大そろしない音をたててやっている。
 十六人の百姓《ひゃくしょう》どもが、顔をまるっきりまっ赤にして足で踏《ふ》んで器械をまわし、小山のように積まれた稲を片っぱしから扱《こ》いて行く。藁《わら》はどんどんうしろの方へ投げられて、また新らしい山になる。そこらは、籾《もみ》や藁から発《た》ったこまかな塵《ちり》で、変にぼうっと黄いろになり、まるで沙漠《さばく》のけむりのようだ。
 そのうすくらい仕事場を、オツベルは、大きな琥珀《こはく》のパイプをくわえ、吹殻《ふきがら》を藁に落さないよう、眼《め》を細くして気をつけながら、両手を背中に組みあわせて、ぶらぶら往《い》ったり来たりする。
 ――宮沢賢治「オツベルと象」より

◎体調不良の季節

 風邪やウイルス性の胃腸炎などが大はやりだ。ボイスセラピストの仲間にも子どもを持つお母さんがいるが、しきりに忙しい忙しいというので、やっぱり年末だから忙しいのかと思ったら、子どもが病気をいるのでいろいろと予定が狂って忙しいのだという。なるほど。
 とくに子どもは集団ですごしているので、いくら元気だといっても病気をうつされやすい。せめてお母さんは調子を整えて年末年始を乗りこえたいものだ。毎日しっかりと呼吸法と音読をやって体調を整え、免疫力を低下させないようにしよう。

2012年12月20日木曜日

12月20日


◎今日のテキスト

『古今要覧稿』巻五三一に「およそ十二辰に生物を配当せしは王充の『論衡』に初めて見たれども、『淮南子《えなんじ》』に山中未《ひつじ》の日主人と称うるは羊なり、『荘子』に〈いまだかつて牧を為さず、而して
しょう奥に生ず〉といえるを『釈文』に西南隅の未地《ひつじのち》といいしは羊を以て未《ひつじ》に配当せしもその由来古し」と論じた。果してその通りなら十二支に十二の動物を配る事戦国時既に支那に存したらしく、『淮南子』に〈巳の日山中に寡人と称せるは、社中の蛇なり〉とある、蛇を以て巳に当てたのも前漢以前から行われた事だろうか。すべて蛇類は好んで水に近づきまたこれに入る。沙漠無水の地に長じた蛇すら能く水を泳ぎ、インドで崇拝さるる帽蛇《コブラ》は井にも入れば遠く船を追うて海に出る事もあり。
 ――南方熊楠『十二支考 蛇に関する民俗と伝説』より

◎病気のレッテルをはらない

 私たちは風邪をひいたり下痢をしたりするように、精神的にもさまざまな不調に日常的におちいっている。不安やうつうつした状態、脅迫感、過度な怒り、妄想、不眠、コミュニケーション不全、場合によっては幻覚や依存といったことも起こりうる。病院に行けばこれらの症状に「病気」のレッテルをはられ、薬を処方される。しかし、本当にこれらは病気なのだろうか。
 これらのことは私たちのこころの動きとして普通にあることであり、ひょっとしてうまく対処すれば薬などに頼らなくても改善できるのかもしれない。自分のこころの一時的な不調を「病気」と決めずに、うまく対処するスキルを身につける。これが音読療法の目的のひとつでもある。

2012年12月19日水曜日

12月19日


◎今日のテキスト

 哲学が何であるかは、誰もすでに何等か知っている。もし全く知らないならば、ひとは哲学を求めることもしないであろう。或る意味においてすべての人間は哲学者である。言い換えると、哲学は現実の中から生れる。そしてそこが哲学の元来の出発点であり、哲学は現実から出立するのである。
 哲学が現実から出立するということは、何か現実というものを彼方に置いて、それに就《つ》いて研究するということではない。現実は我々に対してあるというよりも、その中に我々があるのである。我々はそこに生れ、そこで働き、そこで考え、そこに死ぬる、そこが現実である。
 ――三木清『哲学入門』より

◎介護されずに死まで行きたい

 私の父は太平洋戦争のとき、学徒出陣で海軍に駆り出され、レイテ沖の海戦のときに魚雷攻撃を受けて九死に一生をえた傷痍軍人だった。なんとか高校教師を定年まで勤められるほどには怪我は回復したが、基本的に身体が弱かった。
 それが80歳を越えるまで生きて、最後までだれの世話になることもなく、ある日、寝ている最中にぽっくりと旅立っていった。
 生前は調子が悪いと無理をせず、すぐに横になっていたし、暇があるとせっせと歩いたり庭仕事で身体を動かしていた。父なりに健康に気をつけていたのだ。だから、最後までだれの世話にならずにすんだのだろうと思う。
 私も父のようにありたいと思う。そのためには、日ごろからの注意が必要だが、いまの私には音読療法という強い味方があるので、年をとっても介護予防は欠かさず自分自身で心がけたいと思う。

2012年12月18日火曜日

12月18日


◎今日のテキスト

 百足凧――これは私達の幼時には毎年見物させられた珍らしくもなかった凧である。当時は、大なり小なり大概の家にはこの百足の姿に擬した凧が大切に保存されていた。私の生家にも前代から持ち伝えられたという三間ばかりの長さのある百足凧があった。この大きさでは自慢にはならなかった。小の部に属するものだった。それだと云っても子供の慰み物ではない。子供などは手を触れることさえも許されなかったのだ。端午の節句には三人の人手をかりて厳かな凧上げ式を挙行したものである。――因縁も伝説も迷信も、そして何として風習であったのかということも私は、凧に就いては聞き洩したので今でも何らの知識はない。花々しい凧上げの日の記憶が、ただ漠然と残っているばかりである。それにしてもあれ程凄まじかった伝来の流行が、今はもう全くの昔の夢になったのかと思うと若い私は可怪《をか》しな気がする。
 ――牧野信一「鱗雲」より

◎薬にたよらない

 私の知り合いでも何人か、精神科や心療内科にかかって、うつ病や不安神経症、不眠症の治療薬を処方してもらって飲んでいる者がいる。
 有名な医学雑誌「The Lancet」に掲載された論文によれば、向精神薬の依存性はタバコやアルコール、違法ドラッグと比べても相当に高いという結果が出ている。これは20の薬物について身体依存、精神依存、多幸感のスコア尺度を示している。
 薬にたよらず、呼吸法や認知行動療法によって心身の調子を整えていく方法がある。私は医者ではないので治療行為はできないが、有効な方法についての知識は持っているので、相談してもらえれば助言はできる。

2012年12月17日月曜日

12月17日


◎今日のテキスト

 死があたかも一つの季節を開いたかのようだった。
 死人の家への道には、自動車の混雑が次第に増加して行った。そしてそれは、その道幅が狭いために、各々の車は動いている間よりも、停止している間の方が長いくらいにまでなっていた。
 それは三月だった。空気はまだ冷たかったが、もうそんなに呼吸しにくくはなかった。いつのまにか、もの好きな群集がそれらの自動車を取り囲んで、そのなかの人達をよく見ようとしながら、硝子窓《ガラスまど》に鼻をくっつけた。それが硝子窓を白く曇らせた。そしてそのなかでは、その持主等が不安そうな、しかし舞踏会にでも行くときのような微笑を浮べて、彼等を見かえしていた。
 ――堀辰雄「聖家族」より

◎いまここで自分ができること

 マインドレスになり、過去のできごとや、まだ起こってもいないことにとらわれて不安になったり、ここではないどこかで起こっていることを想像して不安になることがある。しかし、それらはいくら考えても、予想しても、どうにかなるものではない。
 なにか予測しないことが起こったり、遠くはなれたところで対処しなければならないことが起きたときに初めて、動く必要がある。すばやく的確に動くためには、いまくよくよとかんがえるのをやめて、いまここでできること——自分の調子を整えておくことがもっとも有効なことだろう。
 いつでも冷静に俊敏に動けるように自分のこころと身体の状態を最良に整えておくこと。これが自分にいまここでできる最良のことだ。

2012年12月16日日曜日

12月16日


◎今日のテキスト

 駅を出ると、私は荷物が二つばかりあつたので、どうしても車に乗らねばならなかつた。父と二人で、一つづつ持てば持てないこともなかつたけれども、小一里も歩かねばならないと言はれると、私はもうそれを聴くだけでもひどい疲れを覚えた。
 駅前に三十四年型のシボレーが二三台並んでゐるので、
「お前ここにゐなさい。」
 と父は私に言つて、交渉に行つた。私は立つたまま、遠くの雑木林や、近くの家並や、その家の裏にくつついてゐる鶏舎などを眺めてゐた。淋しいやうな悲しいやうな、それかと思ふと案外平然としてゐるやうな、自分でもよく判らぬ気持であつた。
 ――北條民雄「柊の垣のうちから」より

◎昏沈《こんじん》

 昏沈という言葉がある。仏教用語だが、人のある状態をさすことにも使われる。精神にエネルギーがなくなって、なにもかんがえることもできず、ただぼーっと放心している状態である。
 この状態のとき、人は無表情になり、目はどこを見るともなく死んだようになっている。外見は「反芻思考」におちいってるいる人と寸分たがわない。
 昏沈も反芻思考も、ともにいきいきとした精神状態からはほど遠いもので、どちらも「いまここ」にある自分自身を生きてはいない。自分がそういった状態におちいっていることに気づいたら、ただちに呼吸に意識を向け、自分のいまここの身体を取りもどしてほしい。

2012年12月15日土曜日

12月15日


◎今日のテキスト

 むかしむかし、王様とお妃がありました。おふたりは、こどものないことを、なにより悲しがっておいでになりました。それは、どんなに悲しがっていたでしょうか、とても口ではいいつくせないほどでした。そのために、世界じゅうの海という海を渡って、神様を願《がん》をかけるやら、お寺に巡礼《じゅんれい》をするやらで、いろいろに信心《しんじん》をささげてみましたが、みんな、それはむだでした。
 でもそのうち、とうとう信心のまことがとどいて、お妃に、ひいさまの赤ちゃんが生まれました。それでさっそく、さかんな洗礼《せんれい》の式をあげることになって、お姫《ひめ》さまの名づけ親になる教母《きょうぼ》には、国じゅうの妖女《ようじょ》が、のこらず呼び出されました。
 ――シャルル・ペロー「眠る森のお姫さま」(訳・楠山正雄)より

◎老人ホームでの音読ワーク

 音読療法協会では老人ホームでの音読ワーク/音読ケアプログラムを継続的におこなっている。1級ボイスセラピストが中心になっておこなっているのだが、昨日はひさしぶりに私自身も音読ケアに参加した。
 よくかんがえれば、私自身は資格を取得していないので「もぐり」ということになってしまうが、まあ資格講座の講師ということでお許しいただこう。
 呼吸法からはじまって、唱歌の歌詞(今回は「冬景色」)を声を合わせて音読してもらったり、リズムを取って読んでもらったり、最後には歌ってもらったりし、声を出し、ことばを発してもらうことで、自然に深い呼吸をおこなうことで、みなさんの表情がどんどん変わっていくのが楽しかった。
 ひさしぶりだったが、ボイスセラピストというのはやりがいのある、楽しみの多い仕事だなあと、あらためて実感した。

2012年12月14日金曜日

12月14日


◎今日のテキスト

 十二階があったころの浅草、といえば、震災前のこと。中学生だった僕は、活動写真を見るために毎週必ず、六区の常設館へ通ったものだ。はじめて、来々軒のチャーシュウ・ワンタンメンというのを食って、ああ、何たる美味だ! と感嘆した。
 来々軒は、日本館の前あたりにあって、きたない店だったが、このうまかったこと、安かったことは、わが生涯の感激の一つだった。少年時代の幼稚な味覚のせいだったかも知れないが、いや、今食っても、うまいに違いない、という気もする。
 ――古川緑波《ろっぱ》「浅草を食べる」より

◎音圧の話(三)

 迫力のある、いいかえれば音圧の高い、一定のビートの音ばかり聴いていると、しだいに耳の感受性は強刺激に慣れてきて、鈍感になっていく。微細な音にたいする解像度が低くなっていく、といいかえてもいいかもしれない。
 人の話し声や朗読などは微細な音量や音色の変化と、揺れ動くリズムを持っている。それらにたいする感受性をどんどん衰えさせてしまうことになる。そうならないためには音圧の低い、微細な音量変化と多彩な音色をふくむ音楽や自然音を意識的に聴くようにする必要がある。
 一日のうちのほんの数分、目をとじて聴覚だけに意識を集中し、自分がどのような物音に包まれているのか仔細に観察してみるのもいいだろう。

2012年12月13日木曜日

12月13日


◎今日のテキスト

 教育の目的は、人生を発達して極度に導くにあり。そのこれを導くは何のためにするやと尋ぬれば、人類をして至大の幸福を得せしめんがためなり。その至大《しだい》の幸福とは何ぞや。ここに文字の義を細かに論ぜずして民間普通の語を用うれば、天下泰平・家内安全、すなわちこれなり。今この語の二字を取りて、かりにこれを平安の主義と名づく。人として平安を好むは、これをその天性というべきか、はた習慣というべきか。余は宗教の天然説を度外視する者なれば、天の約束というも、人為《じんい》の習慣というも、そのへんはこれを人々《にんにん》の所見にまかして問うことなしといえども、ただ平安を好むの一事にいたりては、古今人間の実際に行われて違《たが》うことなきを知るべきのみ。しからばすなわち教育の目的は平安にありというも、世界人類の社会に通用して妨《さまたげ》あることなかるべし。
 ――福沢諭吉「教育の目的」より

◎音圧の話(二)

 普段私たちが聴いている商業音楽(ポップス/歌謡曲/ロックなど)は、平均的に音圧を高める特殊な加工がほどこされている。コンプレッサーというイフェクト(音響効果)をほどこしてあるのだ。これは、小さな音を大きく、大きな音は小さく「圧縮」して、音圧の振り幅を狭め、そのあとで全体の音量を持ちあげることで非常に音圧の高い、迫力のあるサウンドを作ることが目的だ。そういう音には反射的に耳を奪われてしまう。
 CDやダウンロードコンテンツはもちろん、ラジオやテレビの音、とくにCMは例外なくコンプレッサー処理をほどこされていて、私たちの耳はそれに慣らされてしまっている。化学調味料を加えていない食品でないとおいしく感じない舌になってしまっているような事情が、耳にもあてはまるようになってしまっている。

2012年12月12日水曜日

12月12日


◎今日のテキスト

 村木博士は、いろいろな動物試験で、人工生殖の実験が成功したことを報告してから、たった今小使がもって来た二匹のモルモットを入れた檻を卓の上へとり出した。
「この白い方は、私が村木液の中で培養したモルモットです。黒の勝った方は、普通の親から生れたモルモットです。どちらも生後三週間のものですが、その発育状態は少しの相違も見られません。どうぞ、これをまわしてよく御覧下さい」
 こう言って博士はモルモットの檻を一番前列に聴いている男に渡した。二匹のモルモットは檻の中で小さくなっていた。檻は聴衆の間へ次から次へとまわされていった。三百人あまりの男女の聴衆は、妙な環境の中で生育したこの小さい動物を不思議そうに観察しながら、近代科学の驚くべき奇蹟に驚歎した。
 ――平林初之輔「人造人間」より


◎音圧の話(一)

 音楽用語だが「音圧」ということばがある。
 音は空気の振動によって伝わるものであり、それはパスカルという圧力単位で強さをあらわすことができる。一般に音圧が高ければ音は大きいということになる。
 ただし、人間の耳はちょっとした癖を持っていて、音圧の感じ方が機械のように客観的・平均的というわけではない。
 とても静かなところで音が鳴れば、音圧が高いように感じるし、また音圧の高い/高いの変動が大きな音源は、聴きにくいと感じる。音楽でもクラシック音楽などは音圧レベルの変動が大きい。

2012年12月11日火曜日

12月11日


◎今日のテキスト

 史朗は今度一年生になりました。まだ学校へ行く道が憶えられないので、女中が連れて行きます。女中は史朗の妹を背に負って行くのでした。妹は美しい毬《まり》を持っています。その毬は姉が東京から土産に買って来たものでした。毬には桃の花の咲いた山の絵が描いてあります。
 さて、ある日、先生が「今日はこれから山へのぼりましょう」と申しました。皆はそれでワイワイと喜びながら、学校の門を出ました。山は学校のすぐ側にあったので、すぐ登れました。草原にちらかって遊びました。桃の花が咲いていました。史朗も妹も、みんなその辺で遊びました。暫くして山を下りました。史朗は女中に連れられて家へ戻りました。
 戻って気がつくと、妹の毬が無くなっているのでした。どうしたのだろう、どこへやったのかしらと大探ししてもありません。毬は、山へ連れて行かれたので急に元気になって勝手にはね廻って、ころころ、転んで、そのまま、「この山は僕の絵と似てるな」と云って、ねころんでしまったのでしょうか。
 ――原民喜「山へ登った毬」


◎あと六十三日

 また冬がめぐってきた。数日前からちょうど北陸の実家に帰省しているのだが、冬型の気圧配置と寒波のせいでかなり積雪があった。とくに実家は山間部にあるので、五〇センチは積もっただろうか。
 この「音読日めくり」を始めたのも冬で、今年の二月十三日が最初の回だった。「日めくり」なので一年分をとにかく作ろうと決意して、毎日書きつづけた。
 それもあと六十三日を残すばかりとなった。

2012年12月10日月曜日

12月10日


◎今日のテキスト

 あまり暑いので、津田は洗面所へ顏を洗いに行った。洗面所には大きい窓があったが、今日はどんよりして風ひとつない。むしむしした午後である。
「津田さん、お電話ですよ」
 津田がぼんやり窓の外を眺めていると、女給仕が津田を呼びに来た。オフイスへ戻って卓上の電話へ耳をあてると、
「津田さん? 津田さんでいらっしゃいますか?」
 と、女の優しい声がしている。
「私、くみ子です……御無沙汰しております。今日、東京へ出て參りましたの……」
 初めは誰かと耳をそばだてていた津田の瞼に、かつてのくみ子の顏が大きく浮んで来た。
  ――林芙美子「多摩川」より


◎お経朗読

 どんな文章でもいいのだが、お経のように、抑揚も文節の区切りも、テン・マルも無視して平坦に読みつづける読み方がある。
「般若心経」でいえば「かんじーざいぼーさつはんにゃーはーらーみーたーじー」と読むように、「平家物語」だったら「ぎおんしょーじゃのはなのいろしょぎょーむじょーのひびきあり」と、意味も抑揚もかんがえずにただ平板に読みつづける。すると息継ぎができないため、ひたすら息を吐ききっていくことになる。肺のなかの空気を最後まで吐ききったら、そこではじめて休んで息を吸いこむ。
 これはゆっくりとおなじペースで息を吐ききっていくよい練習になる。

2012年12月9日日曜日

12月9日


◎今日のテキスト

 しずかに更《ふ》けてゆく秋の夜。
 風が出たらしく、しめきった雨戸に時々カサ! と音がするのは庭の柿の病葉《わくらば》が散りかかるのであろう。その風が隙間を洩れて、行燈《あんどん》の灯をあおるたびに、壁の二つの人影が大入道のようにゆらゆらと揺ぐ――。
 江戸は根津権現《ねづごんげん》の裏、俗に曙《あけぼの》の里といわれるところに、神変夢想流《しんぺんむそうりゅう》の町道場を開いている小野塚鉄斎《おのづかてっさい》、いま奥の書院に端坐して、抜き放った一刀の刀身にあかず見入っている。霜をとかした流水がそのまま凝《こ》ったような、見るだに膚寒い利刃《りじん》である。刀を持った鉄斎の手がかすかに動くごとに、行燈の映《うつ》ろいを受けて、鉄斎の顔にちらちらと銀鱗が躍る。すこし離れて墨をすっている娘の弥生《やよい》は、何がなしに慄然《ぞっ》として襟《えり》をかきあわせた。
  ――林不忘『丹下左膳 乾雲坤竜の巻』より


◎音読や朗読に向いている声/向いていない声

 人から「朗読に向いているいい声だ」とか、自分の声は通りが悪いので音読に向いてないとか、さまざまな理由で勝手な判断をしている人がかなりいる。
 音読や朗読に向いているとか向いていないといった声は、本来ない。あるのはその人の本来持っている自然な声か、あるいはなんらかの理由で不自然な作り声になってしまっているか、という区別だ。
 音読療法では本来の自然な、無理のない、正直な声と読み方を用いるのがよいことはいうまでもない。とはいっても、自分の自然な声とはどのような声なのか、わからない人が多いことも事実だ。

2012年12月8日土曜日

12月8日


◎今日のテキスト

 大正八年一月五日の黄昏時《たそがれどき》に私は郊外の家から牛込《うしごめ》の奥へと来た。その一日二日の私の心には暗い垂衣《たれぎぬ》がかかっていた。丁度黄昏どきのわびしさの影のようにとぼとぼとした気持ちで体をはこんで来た、しきりに生《せい》の刺《とげ》とか悲哀の感興とでもいう思いがみちていた。まだ燈火《あかり》もつけずに、牛込では、陋居《ろうきょ》の主人をかこんでお仲間の少壮文人たちが三五人《さんごにん》談話の最中で、私がまだ座につかないうちにたれかが、
「須磨子《すまこ》が死にました」
 と夕刊を差出した。私はあやうく倒れるところであった。
  ――長谷川時雨「松井須磨子」より


◎体調を崩しやすいシーズン

 年末になると飲む機会が増えたり、そのせいが夜更かしになったり、風邪やインフルエンザがはやったりと、体調を崩しやすくなる。
 風邪やインフルエンザウイルスは、空気が乾燥していると蔓延しやすい。太平洋側の冬は乾燥するので、とくに感染しやすくなる。暴飲暴食や夜更かしによる免疫力の低下でてきめんに発症しやすくなるので、いかに体調を維持するかが重要になる。
 何度も書いているが、免疫力の維持には自律神経を整えることがもっとも効果的だ。とくに休息・回復の神経である副交感神経をしっかり働かせるようにすることが重要で、そのためには呼吸法を毎日丁寧にやること必要だ。

2012年12月7日金曜日

12月7日


◎今日のテキスト

 クリスマスとは何ぞや
 我が隣の子の羨ましきに
 そが高き窓をのぞきたり。
 飾れる部屋部屋
 我が知らぬ西洋の怪しき玩具と
 銀紙のかがやく星星。
 我れにも欲しく
 我が家にもクリスマスのあればよからん。
 耶蘇教の家の羨ましく
 風琴《おるがん》の唱歌する聲をききつつ
 冬の夜幼なき眼《め》に涙ながしぬ。
  ――萩原朔太郎「クリスマス」


◎怒られることを恐れない

 だれかに怒られることを恐れてビクビクすごすことほど、自分の本来のパフォーマンスを縮小させるものはない。
 だれかに怒られたときは、その相手の大切にしていることを知るチャンスだと思えばいい。萎縮するのではなく、相手に興味をもってつながる機会をすかさずとらえる。

2012年12月6日木曜日

12月6日


◎今日のテキスト
 手をこまぬきて逍遙《さまよひ》の
 牛の牧場《まきば》に日は暮れぬ
 夕《ゆふべ》の声の譜に合はず
 林の中にひびきあり

 松の林のあちこちに
 耳傾けて佇《たたず》めば
 そは鵙《もづ》の子のたはぶれて
 小鳥《とり》の音を鳴く狡猾者《わるもの》よ

 汝《なれ》は野の鳥山の鳥
 野の朝山の夕間暮《ゆふまぐれ》
 小鳥を覗《ねら》ふ蛇の子の
 げに横着者《しれもの》よ鵙の子よ
  ――野口雨情「百舌子」より

◎だれかになにかをやってもらいたいとき

 演出という仕事をしていると、役者や朗読者に「このようにやってほしい」と伝えたいことがある。そのときの語法について考えたことがあるのだが、語法は五種類あるとわかった。
「命令する」「要求する」「お願いする」「提案する」「共感する」
 このとおりの順番でうまくいかない、から、うまくいく、となっている。これは経験的な実感にもとづいている。
 そういえば私はここ何年も、人になにかを「命令」したことがない。人が人になにかを命じたり強要するという関係性においてなにかしら良いことが起こるとは、とても想像できない。

2012年12月5日水曜日

12月5日


◎今日のテキスト

 エスパーニャに来て闘牛を見ないで帰るのは心残りのような気がしていた。しかし見るまでは、生き物を殺すのを見て楽しむということがひどく残酷に考えられ、それに対する反感もあって、見なくともよいというような心持もあった。その反感は、私よりも弥生子の方が強く、彼女は闘牛を見たいという好奇心は全然持ってないようだった。私の方はそうではなく、見たくもあるがいやな気がしはしないかという不安で躊躇していた。
 ところが、偶然は私たちにそれを見させる機会を与えた。或る朝、私はサン・セバスティアンのヴィラ「ラ・クンブレ」の日陰の涼しいヴェランダで、デッキ・チェアに足を踏み伸ばして、読めもしない西班牙語の新聞の見出しを拾っていた。
  ――野上豊一郎「闘牛」より

◎夜更かしもストレスの一種(二)

 人間も生き物である以上、自然の法則にしたがった一定の生体リズムを持っている。朝が来れば目がさめ、夜が来ると眠くなる。これらがなんらかの理由で乱れると、さまざまな不都合が起こる。
 現代人は自然な生体リズムにさからって生きていることが多い。朝は寝坊し、夜は夜更かしする。それが自律神経に不調をもたらすことはよく知られているが、原因は生理的なストレスによるものだ。
 昨日書いたように、生体リズムが狂うことも人の身体にとってはストレスとなる。それは人体に防衛反応をもたらし、すなわち交感神経が不必要に昂進する。休息・回復の神経である副交感神経の働きが阻害される。
 先人が早寝早起き、規則正しい生活をすべし、といいつづけてきたのにはそれなりの理由があるということだ。

2012年12月4日火曜日

12月4日


◎今日のテキスト

 寒い冬が北方から、狐《きつね》の親子の棲《す》んでいる森へもやって来ました。
 或朝《あるあさ》洞穴《ほらあな》から子供の狐が出ようとしましたが、
「あっ」と叫んで眼《め》を抑《おさ》えながら母さん狐のところへころげて来ました。
「母ちゃん、眼に何か刺さった、ぬいて頂戴《ちょうだい》早く早く」と言いました。
 母さん狐がびっくりして、あわてふためきながら、眼を抑えている子供の手を恐る恐るとりのけて見ましたが、何も刺さってはいませんでした。母さん狐は洞穴の入口から外へ出て始めてわけが解《わか》りました。昨夜のうちに、真白な雪がどっさり降ったのです。その雪の上からお陽《ひ》さまがキラキラと照《てら》していたので、雪は眩《まぶ》しいほど反射していたのです。雪を知らなかった子供の狐は、あまり強い反射をうけたので、眼に何か刺さったと思ったのでした。
  ――新美南吉「手袋を買いに」より

◎夜更かしもストレスの一種(一)

 現代人はさまざまなストレスにさらされている。交通事故にあいそうになったり、階段から落ちそうになったり、といった物理的ストレス。上司からしかられたり、人間関係がうまくいかない、といった心理的ストレス。これらはいずれも「おなじストレス反応」としてあらわれる。すなわち、交感神経が昂進し、鼓動が速くなったり、呼吸が浅くなったり、体温が上昇したりと、消耗的な身体状態におちいる。
 頭では物理的ストレスと心理的ストレスが別物だと思っていても、身体はそれらを区別せずおなじ対処反応をおこなうのだ。
 そしてもうひとつ、生理的ストレスというものがある。たとえば、夜更かしをする、という生活リズムの狂いそのものがストレス反応を引きおこす、ということだ。

2012年12月3日月曜日

12月3日


◎今日のテキスト
 これは、私《わたし》が小さいときに、村の茂平《もへい》というおじいさんからきいたお話です。 むかしは、私たちの村のちかくの、中山《なかやま》というところに小さなお城があって、中山さまというおとのさまが、おられたそうです。 その中山から、少しはなれた山の中に、「ごん狐《ぎつね》」という狐がいました。ごんは、一人《ひとり》ぼっちの小狐で、しだの一ぱいしげった森の中に穴をほって住んでいました。そして、夜でも昼でも、あたりの村へ出てきて、いたずらばかりしました。はたけへ入って芋をほりちらしたり、菜種《なたね》がらの、ほしてあるのへ火をつけたり、百姓家《ひゃくしょうや》の裏手につるしてあるとんがらしをむしりとって、いったり、いろんなことをしました。
 ――新美南吉「ごんぎつね」より

◎逆流性食道炎(二)

 昨日のこのコラムを読んだ知り合いのお医者さんからコメントをいただいた。逆流性食道炎はさまざまな要因が複雑にからまって起こることがあって、単純に原因を決めるのは難しいらしい。だとしたらなおさら「全体」の調子を整えることで「部分」の炎症や病気を軽癒していくという東洋医学の考え方は有効かもしれない。
 休息・回復の神経系である副交感神経をきちんと働くようにすることで、消化器系全体の働きを正常にし、うまくすると胃酸の逆流もおさえることができるかもしれないし、なによりその原因のひとつであるストレスに対処したり、ストレス要因による神経系の不調を整えていくことができる。
 つまりはきちんとした呼吸法が有効ということになる。

2012年12月2日日曜日

12月2日


◎今日のテキスト
 霧の深い、暖かな晩だった。誘われるように家を出たKと私は、乳色に柔かくぼかされた夜の街を何処ともなく彷徨い歩いた。大気はしっとりと沈んでいた。そして、その重みのある肌触りが私の神経を異様に昂ぶらせた。私の歩調はともすれば早み勝ちだった。――私達はK自身の羸《か》ち得た或る幸福に就いて、絶えず語り続けた。それは二人の心持を一そう興奮させた。そして、夜の更けるのも忘れていた。
 ――南部修太郎「霧の夜に」より

◎逆流性食道炎(一)

 知り合いで逆流性食道炎と診断され、薬を飲んでいる、という者がいる。この病気はなんらかの理由で胃酸や十二指腸液が食道へ逆流し、食道が荒れるというもので、薬は胃酸を抑えるものらしい。
 胃酸を抑えれば症状は軽くなるかもしれないが、胃酸が逆流するという根本を治癒することにはならない。
 別の知り合いが、ストレスがある時期に同じ症状になり、ストレスがなくなったら快癒した、という話をしている。ということは、この病気はストレスと深い関係があるかもしれない。ストレスと関係があるとしたら、自律神経の不調による消化器系の働きの弱り、あるいは異状をかんがえることもできる。自律神経のうち副交感神経は消化器系の働きを促進する。副交感神経は「回復」の神経系だ。

2012年12月1日土曜日

12月1日


◎今日のテキスト

 寝ようと思って次の間へ出ると、炬燵《こたつ》の臭《におい》がぷんとした。厠《かわや》の帰りに、火が強過ぎるようだから、気をつけなくてはいけないと妻《さい》に注意して、自分の部屋へ引取った。もう十一時を過ぎている。床の中の夢は常のごとく安らかであった。寒い割に風も吹かず、半鐘《はんしょう》の音も耳に応《こた》えなかった。熟睡が時の世界を盛《も》り潰《つぶ》したように正体を失った。
 すると忽然《こつぜん》として、女の泣声で眼が覚《さ》めた。
 ――夏目漱石『永日小品』「泥棒」より

◎簡単だけど難しい呼吸法(三)

 呼吸法でもうひとつコツをつかむのに(人によっては)時間がかかるのは、気道を流れる空気の速度を一定に保ち、感じること、だ。
 自分の身体に意識をむけ、マインドフルネスになるための入口に立つためには、まず呼吸を観察することからスタートするのだが、ここが意外に雑におこなってしまう人が多い。観察は「緻密に」おこなう必要がある。空気が自分の気道を出たりはいったり、鼻腔を通り抜け、鼻孔を通過していく、その速度、温度、湿度などを緻密に観察し、意識をむけていく。そのことによって、安定した深い、長い呼吸ができるようになっていく。
 安定した一定の速度で、細く長く深く呼吸する。これは筋肉、神経、姿勢、さまざまなことの調和がとれていなければうまくいかないのだが、調和がとれることをめざすために呼吸法をおこなうともいえる。