2012年12月13日木曜日

12月13日


◎今日のテキスト

 教育の目的は、人生を発達して極度に導くにあり。そのこれを導くは何のためにするやと尋ぬれば、人類をして至大の幸福を得せしめんがためなり。その至大《しだい》の幸福とは何ぞや。ここに文字の義を細かに論ぜずして民間普通の語を用うれば、天下泰平・家内安全、すなわちこれなり。今この語の二字を取りて、かりにこれを平安の主義と名づく。人として平安を好むは、これをその天性というべきか、はた習慣というべきか。余は宗教の天然説を度外視する者なれば、天の約束というも、人為《じんい》の習慣というも、そのへんはこれを人々《にんにん》の所見にまかして問うことなしといえども、ただ平安を好むの一事にいたりては、古今人間の実際に行われて違《たが》うことなきを知るべきのみ。しからばすなわち教育の目的は平安にありというも、世界人類の社会に通用して妨《さまたげ》あることなかるべし。
 ――福沢諭吉「教育の目的」より

◎音圧の話(二)

 普段私たちが聴いている商業音楽(ポップス/歌謡曲/ロックなど)は、平均的に音圧を高める特殊な加工がほどこされている。コンプレッサーというイフェクト(音響効果)をほどこしてあるのだ。これは、小さな音を大きく、大きな音は小さく「圧縮」して、音圧の振り幅を狭め、そのあとで全体の音量を持ちあげることで非常に音圧の高い、迫力のあるサウンドを作ることが目的だ。そういう音には反射的に耳を奪われてしまう。
 CDやダウンロードコンテンツはもちろん、ラジオやテレビの音、とくにCMは例外なくコンプレッサー処理をほどこされていて、私たちの耳はそれに慣らされてしまっている。化学調味料を加えていない食品でないとおいしく感じない舌になってしまっているような事情が、耳にもあてはまるようになってしまっている。

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