◎今日のテキスト
まだすこしもスポオツの流行《はや》らなかった昔の冬の方が私は好きだ。
人は冬をすこし怖《こわ》がっていた、それほど冬は猛烈で手きびしかった。
人はわが家に帰るために、いささか勇気を奮って、
ベツレヘムの博士のように、真っ白にきらきらしながら、冬を冒して行ったものだ。
そうして私たちの冬の慰めとなっていた、すばらしい焚火は、力づよく活気のある焚火、本当の焚火だった。
人は書きわずらった、すっかり指がかじかんでしまったので。
けれども、助力し合って、夢みたり、失せやすい思い出をすこしでも引きとどめたりすることの、なんというよろこび……
思い出はすぐそばにやって来て、夏のときよりかずっとよくそれが見られたものだ。……人はそれに彩色までした。
こうして室内ではすべてが絵のようだった。
それにひきかえ戸外では、すべてが版画の趣《おもむき》になっていた。
そうして樹々は、自分たちの家で、ランプをつけながら仕事をしていた……
――ライネル・マリア・リルケ「冬」(訳・堀辰雄)より
◎判断・評価を手放さなくてよい
「あなた、こうよね」
という判断や評価はついやってしまいがちだけど、やってはならない、ということではない。判断や評価が自分の思いこみではないことを相手に確認すればよい。
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