「あなたですか、さっきから霧の中やらでお歌いになった方は。」
「ええ、私です。またあなたです。なぜなら私というものもまたあなたが感じているのですから。」
「そうです、ありがとう、私です、またあなたです。なぜなら私というものもまたあなたの中にあるのですから。」
——宮沢賢治「マグノリアの木」より
「自分」や「自我」の概念が強くなればなるほど、人は生き方や自分の存在の意味に苦しむ。
マインドフルネスの実践では、まずは自分の存在=身体に意識を向けることから始めて、しだいに外側へと感覚を開いていく。
宮沢賢治のこの文章には、この時代にあってすぐれた「自己認知」の原理が書かれている。「あなた」という他者は自分の意識に投影されている存在であり、自分自身と区別せねばならないものではない、といっているのだ。それは逆に、自分自身も他者に投影された存在であり、自分は他者のなかで生きているともいえる。
そのような認知で行なう生活や表現はどのようなものになるだろうか。
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