2012年8月23日木曜日

8月23日


◎今日のテキスト

 寛宝《かんぽう》三年の四月十一日、まだ東京を江戸と申しました頃、湯島天神《ゆしまてんじん》の社《やしろ》にて聖徳太子《しょうとくたいし》の御祭礼《ごさいれい》を致しまして、その時大層参詣《さんけい》の人が出て群集雑沓《ぐんじゅざっとう》を極《きわ》めました。こゝに本郷三丁目に藤村屋新兵衞《ふじむらやしんべえ》という刀屋《かたなや》がございまして、その店先には良い代物《しろもの》が列《なら》べてある所を、通りかゝりました一人のお侍は、年の頃二十一二とも覚《おぼ》しく、色あくまでも白く、眉毛秀《ひい》で、目元きりゝっとして少し癇癪持《かんしゃくもち》と見え、鬢《びん》の毛をぐうっと吊り上げて結わせ、立派なお羽織に結構なお袴《はかま》を着け、雪駄《せった》を穿《は》いて前に立ち、背後《うしろ》に浅葱《あさぎ》の法被《はっぴ》に梵天帯《ぼんてんおび》を締め、真鍮巻《しんちゅうまき》の木刀を差したる中間《ちゅうげん》が附添い、此の藤新《ふじしん》の店先へ立寄って腰を掛け、列《なら》べてある刀を眺めて。
侍「亭主や、其処《そこ》の黒糸だか紺糸だか知れんが、あの黒い色の刀柄《つか》に南蛮鉄《なんばんてつ》の鍔《つば》が附いた刀は誠に善《よ》さそうな品だな、ちょっとお見せ」
 ——三遊亭圓朝『怪談牡丹灯籠』(鈴木行三・校訂/編纂)より

◎息が合う、息を合わせる

 複数の人がおなじことをするとき、気分があってうまくものごとが進むとき、「息が合う」という。
 おなじように、うまくものごとを進めたいとき、「息を合わせよう」という。
 このときの「息」とは、呼吸そのもののことだ。
 自分と他人の呼吸を合わせるのは、共同作業において基本中の基本だといえる。

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