2012年8月18日土曜日

8月18日


◎今日のテキスト

 ここから見ると対岸の一《ひと》ところに支流の水のそそいでいるのがわかる。そこまでは相当の距離があるので、細部は見えないがやはり一つの趣があるように見える。すなわち、直線的な一様な対岸がそこで割れているのだから、割目の感といったらよいかもしれない。しかしその支流は極めて小さいもので、人々の注意する程度にも至っていない。
 晩秋のある日、自分は病後の体を馴らすために、対岸、つまりその支流のそそいでいる側の岸近くを歩いて、桐の木だの、胡桃の木だの、その他の雑木のあるところの日陰に腰をおろして休み休み、なお歩いて行った。自分は腰をおろして休むと眠気が出る、そういふ時にはうたたねをする。もう冬外套を着ていたので、顔をひくくして外套の襟のところにうずめるようにして眠る、十五分間も眠ればまた起きて歩みだすという具合である。
 ——齋藤茂吉「支流」より

◎マインドフルネスふたたび(二)

 チンパンジーが本当にそうなのかはチンパンジーに直接訊いてみたわけではないのでわからないが、動物は一瞬一瞬を生きていて、過去や未来や、ここではないどこかの思念・思考にとらわれることがなく、それは刹那的ともいえる。
 人の場合のマインドフルネスは、おなじような「いまここ」の一瞬一瞬を生きることには違いないのだが、刹那的ではなく、ある流れのなかにある一瞬だととらえることができる。
 たとえば家から最寄り駅にむかって歩いているとき、マインドフルネスを実現できたとしても、最寄り駅にむかうという行動の流れのなかにおける一瞬であろう。動物にも「流れ」はあるのかもしれないが、人の場合よりはっきりと目的性のある流れのなかにおけるマインドフルネスであって、それはけっして刹那的とはいわない。

1 件のコメント:

  1. ‥最上川の支流ですか?‥‥地図を見ると奥羽山脈と磐梯山にはさまれて随分変化の激しい川の旅‥‥馬でいったの?‥‥こんなに険しい道のり‥‥鮎の清流 ‥『奥の細道』‥‥険しいけれど水の秘境‥‥美しい土地なんだろうなぁ 先日50才で最上川の川下りの船頭になられた女性が radio gest でした。師匠の船に乗り合わせ『私の天職はこれだ!!!』と閃いて弟子入りしたんですって‥‥とても楽しそうでしたよ!!! 私の父親はその時代で軽い結核だったため高校時代を山形で過ごしました。山ばかり歩き回っていたようです。で、お香典返しは『さくらんぼ』‥‥‥また旅に出たくなりました。

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