2012年8月19日日曜日

8月19日


◎今日のテキスト

 福田英子女史足下。婦人はよろしく婦人の天職を守るべしとは、多くの学者、文人、説教者、演説家等より我々の常に承るところなるが、そのいわゆる天職とははたしていかなるものなるか、それがハッキリと定められざるかぎりは、いかに温良、貞淑、従順なる今の世の婦人といえども、これを守らんことすこぶる困難なるべし。ゆえに小生はここに少しく婦人の天職を考察して、『世界婦人』に献じ、いささか足下の参考に供せんと欲す。
 ある人は、婦人の天職は結婚して夫に仕うるにありと言えり。小生考うるに、結婚もし天職なりとせば、そは婦人のみの天職にあらずして、また必ず男子の天職ならざるべからず。しからば何もとり立てて婦人の天職というほどのことなく、ただこれ人間の天職、動物の天職と言うべし。しからば夫に仕うるが、はたして婦人の天職なるかと考うるに、小生はすこぶるその理由を発見するに苦しむものなり。
 ——堺利彦「婦人の天職」より

◎マインドフルネスふたたび(三)

 マインドフルネスをめざすことは、よく、子どものような、あるいは動物のような刹那的な生き方をイメージされてしまうことがあるが、けっしてそうではない。
 ヒトは想像力を駆使して自分の、あるいは世界の理想をかんがえる。たとえば非戦であったり、非暴力であったり、自分の表現であったり。
 遠景にそのイメージを見据えたなかでの、いまここのマインドフルネスによって自分のパフォーマンスを最大に発揮できること。それがマインドフルネスのめざす地平だろうと私はかんがえる。

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