2012年5月8日火曜日

5月8日

◎今日のテキスト

 私の住む家の門には不思議に蔦《つた》がある。今の家もそうであるし、越して来る前の芝、白金《しろがね》の家もそうであった。もっともその前の芝、今里の家と、青山南町の家とには無かったが、その前にいた青山隠田《おんでん》の家には矢張り蔦があった。都会の西、南部、赤坂と芝とを住み歴《へ》る数回のうちに三ヶ所もそれがあるとすれば、蔦の門には余程縁のある私である。
 目慣れてしまえば何ともなく、門の扉の頂《いただき》より表と裏に振り分けて、若人の濡《ぬ》れ髪を干すように閂《かんぬき》の辺まで鬱蒼《うっそう》と覆い掛り垂れ下る蔓《つる》葉の盛りを見て、ただ涼しくも茂るよと感ずるのみであるが、たまたま家族と同伴して外に出《い》で立つとき誰かが支度が遅く、自分ばかり先立って玄関の石畳に立ちあぐむときなどは、焦立《いらだ》つ気持ちをこの葉の茂りに刺し込んで、強《し》いて蔦の門の偶然に就いて考えてみることもある。
 ——岡本かの子「蔦の門」より

◎周辺の情報を全部受け入れながら音読する

 音読をするときは、自分のまわりで起こっていることを遮断したり、耳をふさごうとするのではなく、すべてに意識を向けながらおこなうようにする。
 最初はむずかしいかもしれないが、練習するうちに難なくできるようになるだろう。
 音楽を聴き、そのメロディを楽しみながら音読する。窓の外の鳥の鳴き声や風の音、雨の音に耳を傾けながら音読する。部屋のなかを歩き回りながら音読する。ラジオを聞きながら音読する。とにかく自分の感覚を外に開いた状態で、音読することにもちゃんと注意をむけられる練習をする。

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