2012年5月15日火曜日

5月15日

◎今日のテキスト

 えたいの知れない不吉な塊が私の心を始終圧《おさ》えつけていた。焦躁《しょうそう》と言おうか、嫌悪と言おうか――酒を飲んだあとに宿酔《ふつかよい》があるように、酒を毎日飲んでいると宿酔に相当した時期がやって来る。それが来たのだ。これはちょっといけなかった。結果した肺尖《はいせん》カタルや神経衰弱がいけないのではない。また背を焼くような借金などがいけないのではない。いけないのはその不吉な塊だ。以前私を喜ばせたどんな美しい音楽も、どんな美しい詩の一節も辛抱がならなくなった。蓄音器を聴かせてもらいにわざわざ出かけて行っても、最初の二三小節で不意に立ち上がってしまいたくなる。何かが私を居堪《いたたま》らずさせるのだ。それで始終私は街から街を浮浪し続けていた。
 ——梶井基次郎「檸檬」より

◎音律の話(二)

 音律というのは音階の並び方のことで、おなじドレミファソラシドでも各音の周波数が微妙に違っている。
 代表的な音律には「純正律」「ピタゴラス音律」「中全音律」「平均律」といったものがあり、それぞれ音の並びの周波数感覚が違っている。
 もともと音律は弦の振動から生まれたもので、弦の長さを半分、三分の一、四分の一といったふうに短くしていくと、音は高くなっていく。それらをならべて音階というものが生まれているのだが、弦の分割で生まれる音階は「純正律」というもので、これは和音がとても美しく響く。いわゆる「うなり」のないクリアな共鳴和音が生まれる音階だ。弦楽器や管楽器がこの音律だし、人の声による合唱などもこれに近い。

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