2012年5月21日月曜日

5月21日

◎今日のテキスト

 「いき」という現象はいかなる構造をもっているか。まず我々は、いかなる方法によって「いき」の構造を闡明《せんめい》し、「いき」の存在を把握することができるであろうか。「いき」が一の意味を構成していることはいうまでもない。また「いき」が言語として成立していることも事実である。しからば「いき」という語は各国語のうちに見出《みいだ》されるという普遍性を備えたものであろうか。我々はまずそれを調べてみなければならない。そうして、もし「いき」という語がわが国語にのみ存するものであるとしたならば、「いき」は特殊の民族性をもった意味であることになる。しからば特殊な民族性をもった意味、すなわち特殊の文化存在はいかなる方法論的態度をもって取扱わるべきものであろうか。「いき」の構造を明らかにする前に我々はこれらの先決問題に答えなければならぬ。
 ——九鬼周造『「いき」の構造』より

◎金環日蝕

 今朝は金環日蝕だった。
 私の住んでいる東京世田谷は曇っていたが、雲間にときおり晴間や薄曇りがあって、かなりしっかりと金環日蝕を見ることができた。周辺の路上や跨線橋の上でも大勢の人が子どもたちといっしょに見ているらしく、普段にはないにぎやかな声が聞こえてきた。
 あたらしく目に触れるものを見るときや、あたらしい経験をするとき、人はマインドフルになりやすい。「いまここ」のことだけに意識が向き、「回想」や「予想」をしない。「いま」を生きている人はとてもイキイキとしてみずみずしい。

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