2012年5月14日月曜日

5月14日

◎今日のテキスト

 身毒丸《シントクマル》の父親は、住吉から出た田楽師であった。けれども、今はいない。身毒はおりおりその父親に訣れた時の容子を思い浮べて見る。身毒はその時九つであった。
 住吉の御田植神事《オンダシンジ》の外は旅まわりで一年中の生計を立てて行く田楽法師の子どもは、よたよたと一人あるきの出来出す頃から、もう二里三里の遠出をさせられて、九つの年には、父親らの一行と大和を越えて、伊賀伊勢かけて、田植能の興行に伴われた。
 ——折口信夫「身毒丸」より

◎音律の話(一)

 現代の私たちが耳にしている音は、平均率という音律であることがほとんどだ。つまり、ドレミファソラシドという音階のそれぞれの周波数が、平均率という音階の決め方で作られている、ということだ。
 平均率は簡単にいえば、ドという音から、その一オクターブ上のドという音(周波数でいえばちょうど倍の数になる)を十二音で均等に割った音(平均)を半音とした音階である。ドとレの間は半音がふたつ(全音)、レとミの間も半音がふたつ(黒鍵が間にはさまっている)、ミとファの間は半音(黒鍵がはさまっていない)、というふうに音階を並べていくと、ピアノのドレミファソラシドという音階ができる。
 私たちはその音階に慣れ親しんでいるのだ。
 しかし、音律(音階)はもともとそのようなものではなかった。自然な音階は響きがまったく違う。

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