2012年4月28日土曜日

4月28日

◎今日のテキスト

 京都に足かけ十年住んだのち、また東京へ引っ越して来たのは、六月の末、樹の葉が盛んに茂っている時であったが、その東京の樹の葉の緑が実にきたなく感じられて、やり切れない気持ちがした。本郷の大学前の通りなどは、たとい片側だけであるにもしろ、大学の垣根内に大きい高い楠の樹が立ち並んでいて、なかなか立派な光景だといってよいのであるが、しかしそれさえも、緑の色調が陰欝《いんうつ》で、あまりいい感じがしなかった。大学の池のまわりを歩きながら、自分の目が年のせいで何か生理的な変化を受けたのではないかと、まじめに心配したほどであった。
 ——和辻哲郎「京の四季」より

◎身体の構えを意識する

 人はさまざまな身体の「構え」を持っていて、そのつど無意識にそれを選びとっている。
 たとえば上司の前で仕事の報告をするとき。たとえば部下たちに向かって訓示をたれるとき。たとえばひさしぶりに友人に会ったとき。雨上がりの森のなかで雫のしたたる樹の下にたたずんだとき。夏の海辺で陽光を反射しながら打ち寄せる波を、デッキチェアにねそべってながめるとき。
 身体のなかのさまざまな部分が微細に変化して、その「構え」は作られる。
 瞬間瞬間、自分がどのような身体の「構え」を選びとっているのか、そのことに意識を向けてみるのはおもしろい。自分自身のありよう(身体性ともいう)に気づく瞬間だ。

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