2012年4月26日木曜日

4月26日

◎今日のテキスト

わたしは厳寒を冒して、二千余里を隔て二十余年も別れていた故郷に帰って来た。時はもう冬の最中《さなか》で故郷に近づくに従って天気は小闇《おぐら》くなり、身を切るような風が船室に吹き込んでびゅうびゅうと鳴る。苫の隙間から外を見ると、蒼黄いろい空の下にしめやかな荒村《あれむら》があちこちに横たわっていささかの活気もない。わたしはうら悲しき心の動きが抑え切れなくなった。
 おお! これこそ二十年来ときどき想い出す我が故郷ではないか。
 ——魯迅「故郷」より(訳・井上紅梅)

◎後悔について

 部屋を片付けるとかしていて、自分が昔買ったり作ったりしたものが思いがけず出てくることがあるだろう。そういうとき、「なんて無駄なものを買ったんだろう」「なんて無益なものを作ってたんだろう」と、後悔の念にさいなまれることはないだろうか。
 人の不幸は「いまここ」ではない過去や、まだ起こってもいないことに思念を向けることで始まる。すぎさったことをいくら悔やんでも、不幸にこそなれ、幸せにはなれない。不幸な気分のままでは、いま現在の自分がよい仕事をすることなどできないだろう。後悔のとらわれから抜け出して「いまここ」に自分があることの幸福を味わいながら、この瞬間のことに専念する。
 とはいえ、これはなかなか困難なことだ。自分自身にいい聞かせるつもりで書いている。

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