2012年4月12日木曜日

4月12日

◎今日のテキスト

 大菩薩峠《だいぼさつとうげ》は江戸を西に距《さ》る三十里、甲州裏街道が甲斐国《かいのくに》東山梨郡萩原《はぎわら》村に入って、その最も高く最も険《けわ》しきところ、上下八里にまたがる難所がそれです。
 標高六千四百尺、昔、貴き聖《ひじり》が、この嶺《みね》の頂《いただき》に立って、東に落つる水も清かれ、西に落つる水も清かれと祈って、菩薩の像を埋めて置いた、それから東に落つる水は多摩川となり、西に流るるは笛吹《ふえふき》川となり、いずれも流れの末永く人を湿《うる》おし田を実《みの》らすと申し伝えられてあります。
 ——中里介山『大菩薩峠』より

◎その怒りは相手の「せい」ではない(後)

 友人は待ち合わせ時間に遅れてきたわけだが、そこにはそれ以上の事実はない。あなたはその事実を受けて、友人に対する「信頼のニーズ」や自分の時間に対する「効率性のニーズ」が損なわれたと感じた結果、友人の行動に対して怒りやいらだちの感情を覚えたわけだ。あなたの感情は友人の行動の「せい」ではなく、あなたのニーズが友人の行動によって損なわれたと感じた結果生じたものだ。
 おそらく友人はあなたに対する信頼を損なおうとしたり、効率性を損なおうとして時間に遅れたのではないだろう。友人にも友人なりに、時間に遅れてしまうだけの自分のニーズがあったはずだ。たとえば出がけにお腹が痛くなって自分のケアをする必要が生じたとかなんとか。それにあなたが共感を向けていくことで、ふたりの関係はすぐに修復に向かうことができる。

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