2012年4月25日水曜日

4月25日

◎今日のテキスト

 もう十四年も前のことである。家を建てるとき大工が土地をどこにしようかと相談に来た。特別どこが好きとも思いあたらなかったから、恰好《かっこう》なところを二三探して見てほしいと私は答えた。二三日してから大工がまた来て、下北沢《しもきたざわ》という所に一つあったからこれからそこを見に行こうという。北沢といえば前にたしか一度友人から、自分が家を建てるなら北沢へんにしたいと洩《も》らしたのを思い出し、急にそこを見たくなって私は大工と一緒にすぐ出かけた。
 秋の日の夕暮近いころで、電車を幾つも乗り換え北沢へ着いたときは、野道の茶の花が薄闇《うすやみ》の中に際《きわ》立って白く見えていた。
 ——横光利一「睡蓮」より

◎今日という一日を評価しない

「今日は良い日だった」「今日は充実していた」「今日は楽しかった」など、日記の最後に評価を書きつけることがよくある。ツイッターなどを見ていても、そのような評価で一日を締めくくっている人を多く見かける。
 一日はただそこにある。自分がすごした時間をただ受け入れ、判断をくださない。
 それだと日々の向上はないのではないか、という人がいるかもしれない。しかし、向上は反省の上に立ってあるのではない。向上はただその一瞬一瞬をマインドフルにすごし、自分のできることに専心することで生まれる。結果的に向上するのであって、向上を計画するのではない、ということだ。今日の自分より明日の自分がよりよくあるためには、今日の自分を反省するのではなく、明日一日もマインドフルにめいっぱい生きることを心がけたい。

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