なにかをやる前にあらかじめ評価や批判、攻撃を予測し、本来自分がやりたかったことやその方法を変えてしまうのです。
そうすると、やりたかったことのなかにやりたくないことが混じりこみ、行為には濁りが生じます。
自分もつまらないし、予測したことが本当にそのとおりになるかどうかは、実際におこなってみなければわからないのです。
マインドフルの練習(79)
まっすぐ立って呼吸に意識を向けます。
呼吸が落ちついたら、自分の立っている姿勢をチェックしてみましょう。
とくに腰、骨盤の位置をチェックしてみます。
骨盤を前後にすこし動かしてみるとどんな感じになりますか?
骨盤が身体の重心をささえるちょうどまんなかの、具合のいい位置を探してみましょう。
腰の位置がおちついたら、呼吸をつづけながら身体全体の感じを味わってみます。
Via Face Bookで 共感的コミュニケーション勉強会の情報をいつも興味深く拝見しておりました。
返信削除もともと自分の住んでいるアメリカでのNonviolent Communicationがベースとなっているとは存じませんでしたので、是非次回帰国の際には勉強会に参加させて頂きたいと考えておりました。
早速調べてみたところ、ここSan DiegoにもNVCグループが存在し、勉強会が実施されていることがわかりましたので、是非次回の基本コースに参加したいと思っています。
そうこう考えると同時に、2年ほど前からMeditationの集まりに参加し、仏教の観点からのマインドフルという気持ちの持ち方に興味を持っていたのですが、まさしくその題名にてのブログを維持なさっていると知り、とてもPositiveな気持ちでコメントを書かせて頂いております。
私が自分なりに意識しているマインドフルネスには今日一日を対象にしたものと今この一瞬を対象にしたものがあります。
過去に起きた苦しい出来事に拘ったり、将来起こり得る様々な状況に思いをめぐらせていたずらに不安な気持ちに囚われることなく、自分の目の前にある今日を精一杯生きるということが基本的に毎日の生活のためのマインドフルネス。
そして、何時降りかかってくるか予想もできない出来事に対し、Negativeな感情をベースに起こるリアクションを最低限に止め、随時平常心を保てるようにするのが一瞬々を大切に過ごすためのマインドフルネス。
今、たまたま気がついたのですが、気持ちは「気」を「持つ」ということ……………
持つというからには、やはり何かしら自己責任的な要素を意識しつつ、自分の心の在り様にいつも十分な気を配りながらそのケアと成長を促すことを忘れてはならないように思います。
ある意味こんなに単純でかつ難しいことも無いかと思いますが。
それにしてもマインドフルという英語を日本語に適切に訳すことはほぼ不可能と思いますし、Nonviolent Communicationも直訳してしまうと非暴力的
意思疎通となり、これはこれで日本の文化を背景にした場合には思わず後ずさりしてしまいますね(笑)。
これからも、毎日の記事を楽しみに拝読させて頂きます。
Harumiさん。読んでいただき、またコメントをいただき、ありがとうございます。
返信削除アメリカにはNVCのコミュニティがいくつか存在しますし、私が属している招聘グループもアメリカからトレーナーを呼ぶことが多いです。もし参加されたら、そのようすやトレーナーのことを教えてくださいね。
マインドフルネスは日本語では「気づき」などと訳されていますが、不十分ではないので、言葉を尽くす必要が出てきます。もともとは仏教におけるサティ(smrti)の英訳ですが、その段階でも意味のずれというか取りこぼしが出てしまってますので、元々の言葉や意味にあたる必要があるかもしれません。
NVCは私は「共感的コミュニケーション」という言葉にして使っています。
またなにか気づいたことがあればお知らせください。