◎今日のテキスト
秋が来る。山風が吹き颪す。欅や榎の葉が虚空へ群がってとびちる。谷川の水が澄みきって落栗が明らかに転びつつ流れてゆく。そうすると毎年私の好奇心が彼の大空へ連なり聳えた山々のふところへ深くもひきつけられる。というのは其の連山のふところにはさまざまの茸《たけ》が生えていて私の訪うのを待っていて呉れる。この茸は全く人間味を離れて自然の純真な心持を伝え、訪問者をして何時の間にか仙人化してしまう。その仙人化されてゆくところに私は大なる興味をおぼえ、快い笑みを浮べつつ歓喜の心を掻き抱く。私の感受性にうったうる自然の感化は山国生活の最も尊重すべき事の一つである。
――飯田蛇笏「茸をたずねる」より
◎自然治癒力(三)
意図的に身体に負荷をかけ自然治癒力をたかめようとするのが、たとえばヨガである。ヨガではかなりきついポーズを取ることが多い。身体をねじったり、関節を曲げたりのばしたり、筋肉を緊張させたり。そうやって身体に意図的な負荷をかける。ポーズをとったあとは、ゆっくりともとの姿勢へともどっていく。
負荷がかかった状態からかかっていない状態へ。この振り幅が大きければ大きいほど、自然治癒力(ホメオスタシスと呼んでいる)がたかまると経験的に知られている。
ヨガのポーズは、なかには極端な形のものもあるが、上記のようなわけなので、その人なりに負荷がかかった状態を得ることが目的なのだ。けっしてポーズの形そのものを達成することが目的ではない。なので、そのポーズができないからといってくやむ必要はまったくない。
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