2013年1月31日木曜日

1月31日


◎今日のテキスト

 千鍾《せんしょう》の酒も少く、一句の言も多いということがある。受授が情を異にし啄《そったく》が機に違《たが》えば、何も彼《か》もおもしろく無くって、それもこれもまずいことになる。だから大抵の事は黙っているに越したことは無い、大抵の文は書かぬが優《まさ》っている。また大抵の事は聴かぬがよい、大抵の書は読まぬがよい。何も申《さる》の歳だからとて、視ざる聴かざる言わざるを尚《たっと》ぶわけでは無いが、嚢《のう》を括《くく》れば咎《とが》無しというのは古《いにしへ》からの通り文句である。酒を飲んで酒に飲まれるということを何処かの小父さんに教えられたことがあるが、書を読んで書に読まれるなどは、酒に飲まれたよりも詰らない話だ。
 ――幸田露伴『平将門』より

◎音楽を聴きながら音読してみる

 どんな音楽でもいいので、鳴らして聴きながらなにか文章を読んでみる。自分の読み方がなんとなくいつもとは違ったようになるのを感じるかもしれない。
 詠み方が変わるのは、身体つき/身体の構えが変わるからだ。なにか音楽を聴いたとき、私たちは無意識に身体の構えが変化する。優しい音楽を聴くときには優しい身体の構えに、緊張感のある音楽を聴くときには緊張感のある身体の構えに。そしてその構えで文章を読むと、そういう音読になる。
 これは音楽でなくてもいいのだが、自分がある環境のなかでなにかを読むとき、あるいは環境が変化したときに読むとき、どのように変わるのか客観的に観察してみるとおもしろい。もちろん変化は音読をしなくても観察できる。

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