2013年1月29日火曜日

1月29日


◎今日のテキスト

 北風を背になし、枯草白き砂山の崕《がけ》に腰かけ、足なげいだして、伊豆連山のかなたに沈む夕日の薄き光を見送りつ、沖より帰る父の舟遅しとまつ逗子《ずし》あたりの童《わらべ》の心、その淋しさ、うら悲しさは如何あるべき。
 御最後川の岸辺に茂る葦《あし》の枯れて、吹く潮風に騒ぐ、その根かたには夜半《よわ》の満汐《みちしお》に人知れず結びし氷、朝の退潮《ひきしお》に破られて残り、ひねもす解けもえせず、夕闇に白き線を水《み》ぎわに引く。もし旅人、疲れし足をこのほとりに停《と》めしとき、何心《なにごころ》なく見廻わして、何らの感もなく行過ぎうべきか。見かえればかしこなるは哀れを今も、七百年の後にひく六代御前《ろくだいごぜん》の杜《もり》なり。木《こ》がらしその梢《こずえ》に鳴りつ。
 ――国木田独歩「たき火」より

◎音読のスピード

 文章を読むとき、どのくらいの速さで読むといいのかと聞かれることがある。人はそれぞれ、勝手な判断で、このくらいのスピードがよい、とあまり根拠のない基準を持っているのだが、まずその勝手な基準を捨ててみてはどうだろう。
 だれかが音読するのを聞いて「それ速すぎる」とジャッジしてしまうことがあるが、実際に本人に聞いてみるといい。「本当はゆっくり読みたかったのについ速くなってしまった」のか「速く読むのが好き」なのか、聞いてみなければわからない。

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