2013年1月25日金曜日

1月25日


◎今日のテキスト

 いろいろな事情で、ふつうの家庭では、鮎を美味く食うように料理はできない。鮎はまず三、四寸ものを塩焼きにして食うのが本手であろうが、生きた鮎や新鮮なものを手に入れるということが、家庭ではできにくい。地方では、ところによりこれのできる家庭もあろうが、東京では絶対にできないといってよい。東京の状況がそうさせるのである。仮に生きた鮎が手に入るとしても、素人《しろうと》がこれを上手に串に刺して焼くということはできるものではない。
 鮎といえば、一般に水を切ればすぐ死んでしまうという印象を与えている。だから、非常にひよわなさかなのように思われているが、その実、鮎は俎上《そじょう》にのせて頭をはねても、ぽんぽん躍《おど》り上がるほど元気溌剌《はつらつ》たる魚だ。そればかりか、生きているうちはぬらぬらしているから、これを掴《つか》んで串に刺すということだけでも、素人には容易に、手際よくいかない。まして、これを体裁よく焼くのは、生やさしいことではない。
 ――北大路魯山人「鮎の食い方」より

◎メール

 最近、パリに旅行してきた、という人の話を聞いた。
 気がついたのは、メトロに乗ったとき、だれもケータイをいじっていなかったこと。メールを読んだり書いたり、ゲームをしたり、ということをだれもしていなかった。日本では地下鉄や電車に乗れば、ご存知のようにほぼ全員がケータイをいじっている。「いまここ」にあらず、どこかにいるだれかといまではないことの情報を交換している。
 どちらがいい、とか、悪い、という話ではない。おなじ地球上でも、地域によってこれだけ人々のふるまいがちがっている、ということだ。

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