2013年1月10日木曜日

1月10日


◎今日のテキスト

 夜なかに、ふと目をあけてみると、俺は妙なところにいた。
 目のとどく限り、無数の人間がうじゃうじゃいて、みんなてんでに何か仕事をしている。鎖を造っているのだ。
 俺のすぐ傍にいる奴が、かなり長く延びた鎖を、自分のからだに一とまき巻きつけて、その端を隣りの奴に渡した。隣りの奴は、またこれを長く延ばして、自分のからだに一とまき巻きつけて、その端をさらに向うの隣りの奴に渡した。その間に初めの奴は横の奴から鎖を受取って、前と同じようにそれを延ばして、自分のからだに巻きつけて、またその反対の横の方の奴にその端を渡している。みんなして、こんなふうに、同じことを繰返し繰返して、しかも、それが目まぐるしいほどの早さで行われている。
 ――大杉栄「鎖工場」より

◎猫から学ぶこと

 猫は子どもが嫌い、という人間によるレッテル張りがあるけれど、猫は子ども一般が嫌いなのではない。「ちいさい子どもの予測不能の動き」が怖いだけなのだ。おなじ子どもでも、予測不能な動きのすくないおとなしい子どもにはちゃんと近づいていく。
 猫とちがって人間はさまざまなことにレッテル張りをして、思考停止の安楽に逃げこんでいる。これだから女はだめなんだ、とか、雨は嫌い、とか、中国はだめ、とか、ジャズが好き、とか。好き/嫌いということばの前でさまざまなニュアンスが消されている。
 好き/嫌いという語法ではないものを注意深くえらびたい。日常的に完全にそうふるまうのはとてもむずかしいことではあるかもしれないけれど。

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