2013年2月6日水曜日

2月6日


◎今日のテキスト

 私は彫刻家である。
 多分そのせいであろうが、私にとって此世界は触覚である。触覚はいちばん幼稚な感覚だと言われているが、しかも其れだからいちばん根源的なものであると言える。彫刻はいちばん根源的な芸術である。
 私の薬指の腹は、磨いた鏡面の凹凸を触知する。此は此頃偶然に気のついたことであるが、ガラスにも横縦がある。眼をつぶって普通の玻璃《はり》面を撫でてみると、それは丁度木目の通った桐のサツマ下駄のようなものである。磨いた鏡面はさすがにサツマ下駄でもないが、わずか五寸に足りない長さの間にも二つ程の波がある事を指の腹は知るのである。
 ――高村光太郎「触覚の世界」より

◎ことばには意味と音がある(二)

 朗読するための文学作品などのテキストは、文の集まりから成り立っている。この「文」が朗読するときのひとつの単位とかんがえている人が多いし、またそういう側面はたしかにあるのだが、このかんがえかたは「意味」にかたよりすぎていると私はかんがえている。
 文はこまかく見れば、さらにつぎのような要素で成り立っている。
「文」「文節」「音節」「音素」
 文と音節には「意味」がつきまとう。「親譲りの」「無鉄砲で」というふうに、ことばの意味を受け取りながら読む人が多い。

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