2013年2月5日火曜日

2月5日


◎今日のテキスト

 発行所の庭にはまず一本の棕梠《しゅろ》の木がある。春になつて粟粒を固めた袋のやうな花の簇出《そうしゅつ》したのを見て驚いたのは、もう五六年も前の事である。それ迄棕梠の花というものは、私は見た事がなかったのである。見た事はあっても心に留まらなかったのである。それがこの家に移り住むようになって新しく毎日見る棕梠の梢から、黄いろい若干の袋が日に増し大きくなって来るのを見て始めて棕梠の花というものを知った時は一つの驚異であった。その後の棕梠には格別の変化も無い。梢から矢の如く新しい沢山の葉が放出すると同時に、下葉の方は葉先から赤くなって来て幹に添うて垂下して段々と枯れて行く。この新陳代謝は絶えず行われつつある。
 ――高浜虚子「発行所の庭木」より

◎ことばには意味と音がある(一)

 音読においてかなりの頻度で相談を受けることがあるのが、「読むときに語尾が消えがちになる癖があるんですが、どうすればいいですか」というものだ。たとえば、夏目漱石『坊っちゃん』の冒頭だったら、
「親譲りの無鉄砲で子どもの時から損ばかりしている」
という文章の「している」の「る」が消えてしまうというのだ。
これには明確に理由があるし、その癖を治すことも比較的簡単だ。

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