◎今日のテキスト
家の者が、「座右寶」に梅原氏の絵が出ていると言うので、私はさわらせて貰った。さわってみても私に絵がわかる筈はないが、それでもやはりさわってみたい。いろいろと説明を聞きながらさわっている中に、子供の時に見た絵を想像した。
子供の時に見た絵を思い出してみると、主に人物で、景色の絵などはかすかである。私の前にお膳があるとか、茶碗がのっているとか、火鉢があるということがわかると、みんな見えているように思うが、それが昔見た想像である。しかし、さわってみてもあまり見当は違っていない。
——宮城道雄「春雨」より
◎朗読という音楽
朗読や音読というと、物語や言葉を伝える、ということに主眼が置かれることが多いが、それ以前に音であるということにも注目した。
人の声はなぜ心地よかったり、あるいは耳障りだったりするのだろう。その声が「意味」を伝える以前に、その声そのものが持つ音程、音質、リズム、強弱といった要素に気を配ってみると、朗読という表現行為は音楽演奏にも似ていることに気づく。
声をあげてなにかを読むとき音楽を演奏すると思って読んでみてはどうだろう。そうするとどんなことに気づくだろうか。なにが変わるだろうか。
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