◎今日のテキスト
十二階があったころの浅草、といえば、震災前のこと。中学生だった僕は、活動写真を見るために毎週必ず、六区の常設館へ通ったものだ。はじめて、来々軒のチャーシュウ・ワンタンメンというのを食って、ああ、何たる美味だ! と感嘆した。
来々軒は、日本館の前あたりにあって、きたない店だったが、このうまかったこと、安かったことは、わが生涯の感激の一つだった。少年時代の幼稚な味覚のせいだったかも知れないが、いや、今食っても、うまいに違いない、という気もする。
――古川緑波《ろっぱ》「浅草を食べる」より
◎音圧の話(三)
迫力のある、いいかえれば音圧の高い、一定のビートの音ばかり聴いていると、しだいに耳の感受性は強刺激に慣れてきて、鈍感になっていく。微細な音にたいする解像度が低くなっていく、といいかえてもいいかもしれない。
人の話し声や朗読などは微細な音量や音色の変化と、揺れ動くリズムを持っている。それらにたいする感受性をどんどん衰えさせてしまうことになる。そうならないためには音圧の低い、微細な音量変化と多彩な音色をふくむ音楽や自然音を意識的に聴くようにする必要がある。
一日のうちのほんの数分、目をとじて聴覚だけに意識を集中し、自分がどのような物音に包まれているのか仔細に観察してみるのもいいだろう。
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