◎今日のテキスト
着ものをきかえようと、たたんであるのをひろげて、肩へかけながら、ふと、いつものことだが古への清少納言のいったことを、身に感じて袖に手を通した。
それは、雨の降るそぼ寒い日に、しまってあった着るものを出してひっかけると、薄い汗の香《か》が鼻をかすめると、その、あるかなきかの、自分の汗の匂いの漂よいと、過ぎさる夏をなつかしむおもいを、わずかの筆に言い尽してあるのを、いみじき言いかただと、いつでも夏の末になると思い出さないことはない。何か、生という強いものを、ほのかななかにはっきりと知り、嗅ぐのだった。
——長谷川時雨「きもの」より
◎過去のあやまちを責める言葉
しばしばあることだが、自分がおかしたミスについて、
「あんたがあのときあんなことをしたから、こんなことになったのよ」
と責められることがある。
とてもつらいことだが、そのとき、その言葉の内容について一切聞く必要はない。聞くのは内容ではなく、その言葉がどのような感情(調子やニュアンス)で発せられているか、ということだ。
相手の感情を見て、それがどのようなニーズから生まれているのか推測できたとき、相手に共感できて、相手が敵=自分を責める人でないように見えはじめる。
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