◎今日のテキスト
私は、犬については自信がある。いつの日か、かならず喰《く》いつかれるであろうという自信である。私は、きっと噛《か》まれるにちがいない。自信があるのである。よくぞ、きょうまで喰いつかれもせず無事に過してきたものだと不思議な気さえしているのである。諸君、犬は猛獣である。馬を斃《たお》し、たまさかには獅子《しし》と戦ってさえこれを征服するとかいうではないか。さもありなんと私はひとり淋しく首肯《しゅこう》しているのだ。あの犬の、鋭い牙《きば》を見るがよい。ただものではない。いまは、あのように街路で無心のふうを装い、とるに足らぬもののごとくみずから卑下して、芥箱《ごみばこ》を覗《のぞ》きまわったりなどしてみせているが、もともと馬を斃すほどの猛獣である。いつなんどき、怒り狂い、その本性を暴露するか、わかったものではない。
――太宰治「畜犬談」より
◎ことばには意味と音がある(三)
文節にはさらにこまかく「音節」の要素もある。『坊っちゃん』冒頭文の末尾「損ばかりしている」という文節も、意味にばかりとらわれて読んでしまうと「音節」という音としての要素がなおざりにされ、語尾が消えてしまうことがある。
この部分は「そ・ん・ば・か・り・し・て・い・る」という九つの音節で成りたっている。音楽でいえば、九つの音符が並んでいると思っていい。九つの音符が並んでいれば、どれひとつとしておろそかにしては演奏しない。音読もそれとおなじことだろう。
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