2012年8月11日土曜日

8月11日


◎今日のテキスト

 土屋庄三郎は邸を出てブラブラ条坊《まち》を彷徨《さまよ》った。
 高坂《こうさか》邸、馬場邸、真田《さなだ》邸の前を通り、鍛冶《かじ》小路の方へ歩いて行く。時は朧《おぼ》ろの春の夜でもう時刻が遅かったので邸々は寂しかったが、「春の夜の艶《なまめ》かしさ、そこはかとなく匂ひこぼれ、人気《ひとけ》なけれど賑かに思はれ」で、陰気のところなどは少しもない。
「花を見るにはどっちがよかろう、伝奏《てんそう》屋敷か山県《やまがた》邸か」
 鍛冶小路の辻まで来ると庄三郎は足を止めたが、「いっそ神明の宮社《やしろ》がよかろう」
 こう呟くと南へ折れ、曽根の邸の裾を廻わった。
 ——国枝史郎『神州纐纈城』より

◎落ちこむ

 人はいろいろなことが原因で落ちこんでしまうことがあるけれど、私の場合はこういうことがある。
 音読療法にしても現代朗読にしても、その理念や考え方を人に説明する機会が多い。自分ではうまく説明できたと思っても、そのことが実は全然伝わっていないことがある。
 ある人が別の日に、別の人や本の説明で理解して、「やっとわかりました」といわれたときなど、自分の説明がうまくいかなかったことについて大変落ちこんでしまう。
 人になにかを理解してもらうということは、大変むずかしい問題をはらんでいる。

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