2014年8月31日日曜日

マインドフルな8月31日

人のうわさ話――とくに悪口に熱中する人がいます。
たしかに、その場にいない人のことをあれこれいうのは楽しいのです。
しかし、その楽しみはけっしてはればれとしたものではありません。
いったいなぜ人は他人をおとしめることで快感をおぼえるのでしょうか。
それはひとえに、自分の優位性を確認したいからにほかなりません。
あの人より私のほうがすぐれている、私はあんなに性格が悪くない、私の境遇はあれほどひどくない、というふうに優位性を感じることで安心するのです。
しかしその優位性や安心は外部に依存している(他人をおとしめることで相対的に手にいれる)ものなので、不安はいつまでも解消しません。
だからさらにその行為はつづき、あなたの顔はみにくくなってしまいます。

マインドフルの練習(248)
目の前に片手をかざします。
右、左、どちらの手でもかまいません、表、裏、どちらでもかまいません。
かざした手をまずはじっくりと観察します。
それから目を閉じ、呼吸に注意を向けながら、ゆっくりと一から十まで数えます。
目をあけます。
さて、かざした手はどのように見えますか? さっきと同じですか? それともちがった感じがしますか?

2014年8月30日土曜日

マインドフルな8月30日

自分を攻撃してくる相手に立ち向かうとき、それは共感の力をもっておこないます。
相手がなにを大切にしているからそのような行動に出ているのか、それを推測し、相手に共感を向けていきます。
うまくいけば相手はあなたに大切にしていることを教えてくれます。
そうしたら、あなたはそれを尊重します。
相手は自分の大切にしていることをあなたが尊重してくれるとわかれば、もう攻撃する必要は感じなくなるでしょう。
相手の攻撃がやんだら、あなたも自分の大切にしていることを相手に伝えればいいのです。
暴力の応酬のかわりに共感関係というつながりが生まれます。

マインドフルの練習(247)
蝉の鳴き声のかわりに秋の虫の声が聞こえる季節になりました。
夜、外に出て、緑のあるところに行ってみると、あちこちから虫の声が聞こえてきます。
それに耳をすましてみます。
いくつの声が聞こえるでしょうか、それはどこから聞こえるでしょう。
しばらく立って、さまざまな虫の声を味わってみます。

2014年8月29日金曜日

マインドフルな8月29日

どなたも自分の身を守ること、自分の安全が大切です。
だれかから攻撃されたとき、自分の安全を守るためにどうするでしょうか。
安全を守るために反撃したり、先手を打って攻撃したりします。
世界のほとんどの国家がこのような行動をとっています。
しかしそれは本当に良策でしょうか。
逃げる、という手もあります。
緊急の場合はそれも必要でしょうし、国家の場合はそもそも動くことができません。
もっとも有効な手は、相手を思いやる、共感する、そしてつながりの質を確保する、ということなのです。
共感は最大の防御なのです。

マインドフルの練習(246)
なにか荷物が届いたとき、箱を閉じているガムテープなどをカッターナイフで切ることがあります。
手っ取り早く荷物を取りだしたくて、マインドレスに、雑に作業をおこなっていませんか?
一度マインドフルネスをこころがけて、丁寧にナイフを入れてみましょう。
段ボールと段ボールの閉じ目のところにナイフの刃をあて、ゆっくりとナイフをすべらせてテープをカットしてみましょう。
あまり力を入れなくても、閉じ目にそってナイフの刃先は勝手にすべっていくはずです。
あわてて作業するときと、丁寧にゆっくり作業するとき、どちらが効率がいいのか、確認してみます。

2014年8月28日木曜日

マインドフルな8月28日

だれしも、人から失望されたり、期待に添えなかったりすると、悲しい気持ちになります。
「きみ、つまんないね」などといわれたりすると、落ちこみます。
実際、私も何度か経験のあることです。
私はピアニストなので、私の演奏がお気にめさなかった方からよく、そのようにいわれることがあります。
とくに目上の方などは気楽にそういうことを伝えてくれたりします。
そういうとき、たしかにこちらにダメージはあるんですが、そのダメージを長引かせなかったり残さないためにも、相手に共感しておきます。
相手はなにを大事にしているのだろうか、私の演奏をつまらないとジャッジしたその価値観はなんだろうか。
不思議なことに、これをやっておくだけでこちらのダメージは嘘のように軽くなって、またつぎに向かって元気を出すことができるのです。

マインドフルの練習(245)
自分の呼吸に注目して、それが落ち着いたら、身体全体に意識を向けます。
そのあと、息をすこし吸って、止めます。
唇を閉じて、口のなかに息を吹きこみます。
ほっぺたがふくらみ、フグのようにぷっくりなると思います。
そのとき、ほっぺたが内側から伸ばされる感触を味わってみます。
たくさん息を吹きこめば、ほっぺたはうんと伸びてぱんぱんになるでしょう。

2014年8月27日水曜日

マインドフルな8月27日

自分が自分だと思っているのは、脳内で作られたイメージです。
自分の身体だと思っているのは、感覚器官から脳に送られた情報をもとに脳がまとめあげた「身体感覚」というイメージです。
自分の身体や自分自身を、私たちは直接知ることはできません。
すべて「客体」としての身体や感覚を脳がまとめあげているイメージです。
しかし、たしかに「私」が動けば、そこには動きが生じ、動いたという事実が残ります。
この事実と、脳が作っているイメージとは、別のものです。
さて、私たちはどちらを信用すればいいのでしょうか。

マインドフルの練習(244)
熱いお湯を入れた湯のみを用意します。
熱いコーヒーをいれたコーヒーカップでも、熱いスープのはいったスープカップでも、なんでもかまいません。
その入れ物の表面が熱いことをあなたは知っています。
やけどをしないように注意しながら、指先で表面を触ってみましょう。
すぐに熱いと感じましたか? それとも熱いと感じる時間にタイムラグがありましたか?

2014年8月26日火曜日

マインドフルな8月26日

私たち人間は自我があり、自分のことを自分だと認識できていると思っています。
本当にそうなのでしょうか。
私たちは自分自身を、あたかも自分の外側から見るように「いま自分は怒りにとらわれているんだな」と客体として客観視することもできます。
それならば、自分のことを自分自身だと認識しているその認識そのものも、客体としての自分の認識ではないでしょうか。
つまり、私たちは自分自身を「主体」としてそのまま観ることはできないのです。
いつも私たちは客体としての自分なのです。
自分自身がもっとも不可解な存在である理由はそこにありますし、ましてや他人を理解できるなどというのは乱暴すぎるかんがえなのです。

マインドフルの練習(243)
自分の髪の毛を数本、指先でつまんで、引っ張ってみます。
強く引っ張ると抜けてしまいますが、そこまで強く引っ張る必要はありません。
が、ある程度力をいれると、頭皮が引っ張られてすこし痛みを感じるでしょう。
そのとき、自分の意識がその部分に集中していくようすを観察してみてください。
髪の毛が引っ張られ、その部分の頭皮が痛みを感じるとき、全身の注意がそこに向かっていくようすがあると思います。
指を離すと、全身の感覚はもとにもどって、ふたたび全体にゆきわたります。

2014年8月25日月曜日

マインドフルな8月25日

私たちは自分のことを「主体」としてとらえています。
私はここにこうしている、こう感じている、こんなことをかんがえている、というその主体として、自分をとらえています。
一方、自分自身を「客体」としてとらえることもできます。
「あ、いま自分は怒りにとらわれてまわりが見えなくなっている状態なのだな」と客観的に自分を認識することもできます。
つまり、自分を客体として外側から俯瞰して見ることもできます。
自分自身を客観視できたとき、私たちには「シフト」が起こり、落ちつきを取りもどすことができるのです。

マインドフルの練習(242)
紙を一枚、取って、指先につまんで目の前にぶらさげます。
どんな紙でもいいです、広告でも、コピー用紙でも、メモ用紙でもかまいませんが、ティッシュペーパーのように腰のないものでなく、ある程度腰がある紙のほうがいいかもしれません。
それを目の前でぴらぴらと振ってみます。
音がするでしょうか。
どんな音がしますか?
その音を身体のなかに取りいれるようにしっかりと聴きとってみましょう。