音読療法の三本の柱は「呼吸法」「音読」「共感的コミュニケーション」です。
その柱の土台には「マインドフルネス」があります。
つまり、呼吸法をやるにせよ、音読をやるにせよ、マインドフルネスをこころがけたり、またマインドフルネスを実現するためにやる、相互補完関係がそれぞれにあるということです。
呼吸法や音読エチュードをおこなってマインドフルネスを深める、マインドフルネスを意識しながら共感的コミュニケーションをおこなう、ということで補完的にそれぞれをさらに有効にできます。
マインドフルの練習(93)
ハーモニカでもリコーダーでも鍵盤ハーモニカでもなんでもいいんですが、子どものころ使っていた楽器が家のなかにありませんか?
それを出してきて、吹いてみます。
いずれも、自分の呼吸を使う楽器です。
ぷうーと吹くと音が出ます。
上手に演奏することが目的ではなく、自分が出した音を味わってみることがマインドフルの練習です。
できるだけ長く音を出して、その音の感触をただ味わってみます。
2014年3月31日月曜日
2014年3月30日日曜日
マインドフルな3月30日
修行僧が毎日、おなじ日課をこなし、おなじ食事をするというのには、意味があります。
繰り返しの苦痛に耐える修行をするためではありません。
繰り返しだと思える、あるいは思いこんでいることも、じつは毎日毎日、おなじものはふたつとしてない、ということを確認するためです。
毎日食べている玄米も、ひとつぶひとつぶが昨日食べたものとはちがいます。
また、それを食べている自分自身も、昨日の自分とはちがいます。
そういうことを刻々と確認するために、おなじ日課を繰り返すことを修行としておこなっているのです。
マインドフルの練習(92)
コップに水をいれ、ストローを差します。
水を飲むのではなく、ストローから息を吐きだします。
ストローの先から気泡がぶくぶくと出てきます。
できるだけ一定の速度で長く息を吐いて、息がなくなるまでぶくぶくします。
そのときの自分の呼吸のようすと、ぶくぶくいう音や振動を自分がどのように受け取っているのか、ただ感じてみましょう。
繰り返しの苦痛に耐える修行をするためではありません。
繰り返しだと思える、あるいは思いこんでいることも、じつは毎日毎日、おなじものはふたつとしてない、ということを確認するためです。
毎日食べている玄米も、ひとつぶひとつぶが昨日食べたものとはちがいます。
また、それを食べている自分自身も、昨日の自分とはちがいます。
そういうことを刻々と確認するために、おなじ日課を繰り返すことを修行としておこなっているのです。
マインドフルの練習(92)
コップに水をいれ、ストローを差します。
水を飲むのではなく、ストローから息を吐きだします。
ストローの先から気泡がぶくぶくと出てきます。
できるだけ一定の速度で長く息を吐いて、息がなくなるまでぶくぶくします。
そのときの自分の呼吸のようすと、ぶくぶくいう音や振動を自分がどのように受け取っているのか、ただ感じてみましょう。
2014年3月29日土曜日
マインドフルな3月29日
毎日、おなじことをする、ということに飽きてしまうことがあります。
たとえば、朝起きたらかならずストレッチをしよう、と決めてはじめたとします。
おなじストレッチを毎日していると、飽きてしまいがちで、しだいにやらなくなってしまいます。
そうではなくて、毎日おなじことをするというのは、自分自身の変化を知るためのものさしの役割をはたしてくれます。
おなじストレッチをしても、昨日と今日の自分はかならずどこかちがっている。
まったくおなじ自分というのはただの一日もありません。
昨日の自分と今日の自分がどのようにちがうのか、身体の状態やクオリティは今日はどんな感じなのか、それを知るために毎日なにかおなじことをやってみるというのは、とても有効なのです。
マインドフルの練習(91)
ストレッチをしながらのマインドフルの練習です。
両手を頭のうしろで組み、両肘を左右にまっすぐ、洗濯竿を差しわたすように張ります。
息を吐きながらそのまま上体を右でも左でもかまいませんが、ねじってうしろを向きます。
背がそらないように気をつけてください。
ねじりきって、息を吐ききったら、あとはその姿勢をキープし、自然呼吸をつづけます。
ねじれてテンションがかかった身体のようすを観察しながら、三、四呼吸キープします。
たとえば、朝起きたらかならずストレッチをしよう、と決めてはじめたとします。
おなじストレッチを毎日していると、飽きてしまいがちで、しだいにやらなくなってしまいます。
そうではなくて、毎日おなじことをするというのは、自分自身の変化を知るためのものさしの役割をはたしてくれます。
おなじストレッチをしても、昨日と今日の自分はかならずどこかちがっている。
まったくおなじ自分というのはただの一日もありません。
昨日の自分と今日の自分がどのようにちがうのか、身体の状態やクオリティは今日はどんな感じなのか、それを知るために毎日なにかおなじことをやってみるというのは、とても有効なのです。
マインドフルの練習(91)
ストレッチをしながらのマインドフルの練習です。
両手を頭のうしろで組み、両肘を左右にまっすぐ、洗濯竿を差しわたすように張ります。
息を吐きながらそのまま上体を右でも左でもかまいませんが、ねじってうしろを向きます。
背がそらないように気をつけてください。
ねじりきって、息を吐ききったら、あとはその姿勢をキープし、自然呼吸をつづけます。
ねじれてテンションがかかった身体のようすを観察しながら、三、四呼吸キープします。
2014年3月28日金曜日
マインドフルな3月28日
音楽にしても、絵にしても、風景にしても、自分が知っているものにふたたび出会った、あるいは知っているものに近い、という感覚が起こったとき、こころが動くことがあります。
逆に、見たことも聞いたこともないものにあらたに出会ったときにも、こころが動くことがあります。
いずれにしても、自分のなかの価値観に触れ、それが満たされたときに感動が起こるのです。
あるいは満たされつづける、という動きそのものが起こる場合もあります。
なにかに感動する、あるいは不快感をおぼえる、というこころの動きは、自分がなにを大切にしているかを教えてくれます。
マインドフルの練習(90)
ストレッチをしながらのマインドフルの練習です。
両手を頭のうしろで組み、両腕の重さだけで首をゆっくりと前にたおします。
そのとき、いっしょにゆっくりと呼吸を吐きだしていきます。
首のうしろ(僧帽筋の上部)の筋肉が伸び、息が吐ききれたら、あとは自然呼吸にもどします。
筋肉が伸びている感じや身体全体の感覚を、呼吸から意識をはなさないまま観察します。
逆に、見たことも聞いたこともないものにあらたに出会ったときにも、こころが動くことがあります。
いずれにしても、自分のなかの価値観に触れ、それが満たされたときに感動が起こるのです。
あるいは満たされつづける、という動きそのものが起こる場合もあります。
なにかに感動する、あるいは不快感をおぼえる、というこころの動きは、自分がなにを大切にしているかを教えてくれます。
マインドフルの練習(90)
ストレッチをしながらのマインドフルの練習です。
両手を頭のうしろで組み、両腕の重さだけで首をゆっくりと前にたおします。
そのとき、いっしょにゆっくりと呼吸を吐きだしていきます。
首のうしろ(僧帽筋の上部)の筋肉が伸び、息が吐ききれたら、あとは自然呼吸にもどします。
筋肉が伸びている感じや身体全体の感覚を、呼吸から意識をはなさないまま観察します。
2014年3月27日木曜日
マインドフルな3月27日
「感動する」というのは、感情、つまりこころが大きく動く、ということです。
こころが動くのはどういうときでしょう。
自分が物理的に動いたときです。
物理的に動いてなにか反応があった、なにかを見た、なにかを聴いた、なにかに触れたり接したりした、といったとき、こころが動きます。
それが心地よく、しかも大きく動いたとき、「感動した」といいます。
では、感情やこころが動くのはなぜでしょう。
それは自分が大切にしていること、価値、必要なこと(ニーズ)と関係があります。
マインドフルの練習(89)
身体のストレッチでマインドフルの練習をしてみます。
首の横(斜角筋群があります)を伸ばしてみます。
左手で頭頂からやや右のあたりまでつかんで、頭を腕の重さだけで左に傾けます。
首の右側が伸びていきます。
このとき、いっしょにゆっくりと呼吸を吐きます。
吐ききったら、あとは自然呼吸にもどし、呼吸、首の伸びている部分のようす、そして身体全体の感じを観察しながら、三十秒くらい保持します。
首の左側もおなじようにやってみましょう。
こころが動くのはどういうときでしょう。
自分が物理的に動いたときです。
物理的に動いてなにか反応があった、なにかを見た、なにかを聴いた、なにかに触れたり接したりした、といったとき、こころが動きます。
それが心地よく、しかも大きく動いたとき、「感動した」といいます。
では、感情やこころが動くのはなぜでしょう。
それは自分が大切にしていること、価値、必要なこと(ニーズ)と関係があります。
マインドフルの練習(89)
身体のストレッチでマインドフルの練習をしてみます。
首の横(斜角筋群があります)を伸ばしてみます。
左手で頭頂からやや右のあたりまでつかんで、頭を腕の重さだけで左に傾けます。
首の右側が伸びていきます。
このとき、いっしょにゆっくりと呼吸を吐きます。
吐ききったら、あとは自然呼吸にもどし、呼吸、首の伸びている部分のようす、そして身体全体の感じを観察しながら、三十秒くらい保持します。
首の左側もおなじようにやってみましょう。
2014年3月26日水曜日
マインドフルな3月26日
小学校の通信簿の、科目の成績とは別の評価欄に、「生命や自然のすばらしさに感動する」というものがあるようです。
「感動できるかどうか」なんてことを評価の対象にできるのかどうか、疑問に思います。
そもそも、子どもを「評価する」教育そのものが、私には疑問に思うのです。
「感動する」とはどういうこころ(あるいは身体)の動きや状態なのでしょう。
自分がなにかに感動したとき、どのようなことが起こっているのか、感動が過ぎ去ってからでいいですから(そもそも感動している最中には無理ですが)客観的に自分のなかに起きたことについて検証してみてください。
マインドフルの練習(87)
リンゴを片手に持ったまま、左右にゆっくりと動かしてみます。
上下に動かしたときとは別の筋肉と神経がはたらき、それと連動して動く身体全体のようすもちがった変化を起こすことが観察できるでしょうか。
その精妙な身体の動きが私たちの生命活動そのものであり、それをいちいち頭でコントロールすることなどできないことがわかるでしょうか。
「感動できるかどうか」なんてことを評価の対象にできるのかどうか、疑問に思います。
そもそも、子どもを「評価する」教育そのものが、私には疑問に思うのです。
「感動する」とはどういうこころ(あるいは身体)の動きや状態なのでしょう。
自分がなにかに感動したとき、どのようなことが起こっているのか、感動が過ぎ去ってからでいいですから(そもそも感動している最中には無理ですが)客観的に自分のなかに起きたことについて検証してみてください。
マインドフルの練習(87)
リンゴを片手に持ったまま、左右にゆっくりと動かしてみます。
上下に動かしたときとは別の筋肉と神経がはたらき、それと連動して動く身体全体のようすもちがった変化を起こすことが観察できるでしょうか。
その精妙な身体の動きが私たちの生命活動そのものであり、それをいちいち頭でコントロールすることなどできないことがわかるでしょうか。
2014年3月25日火曜日
マインドフルな3月25日
だれかから頼まれたり、自分から申し出た仕事をやるときに、「やらなければ」という気持ちが生まれることがある。
その気持ちの奥には義務感がある。
もともとは純粋に相手の役に立ちたくて引き受けたり、自分から買ってでたはずなのに、いそがしくなってしまったり体調がすぐれなかったりめんどくさくなってしまったりしてしまうことがある。
そういうとき、無理にやろうとすると義務感を駆りたてるしかなくなる。
しかし、義務感というのは、人と人の関係を「共感的」ではないものにしてしまう。
すこしでも義務感を感じたら、そもそもどのような気持ちでその仕事をしようとしたのか、静かに自分の内側を見つめてみたい。
マインドフルの練習(85)
リンゴを片手に持ちます。
リンゴじゃなくても、みかんでもバナナでも、あるいは本でもなんでもいいんですが。
それをゆっくりと、スローモーションで持ちあげます。
リンゴの重さ、その重さを持ちあげる自分の腕の動き、腕そのものの重さ、身体の変化をつぶさに観察します。
マインドフルネスが深まり、観察が緻密になればなるほど、リンゴを持ちあげるという単純な動きのなかにじつに複雑な生命活動があることに気づくはずです。
その気持ちの奥には義務感がある。
もともとは純粋に相手の役に立ちたくて引き受けたり、自分から買ってでたはずなのに、いそがしくなってしまったり体調がすぐれなかったりめんどくさくなってしまったりしてしまうことがある。
そういうとき、無理にやろうとすると義務感を駆りたてるしかなくなる。
しかし、義務感というのは、人と人の関係を「共感的」ではないものにしてしまう。
すこしでも義務感を感じたら、そもそもどのような気持ちでその仕事をしようとしたのか、静かに自分の内側を見つめてみたい。
マインドフルの練習(85)
リンゴを片手に持ちます。
リンゴじゃなくても、みかんでもバナナでも、あるいは本でもなんでもいいんですが。
それをゆっくりと、スローモーションで持ちあげます。
リンゴの重さ、その重さを持ちあげる自分の腕の動き、腕そのものの重さ、身体の変化をつぶさに観察します。
マインドフルネスが深まり、観察が緻密になればなるほど、リンゴを持ちあげるという単純な動きのなかにじつに複雑な生命活動があることに気づくはずです。
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